【書評】星やどりの声/朝井リョウ

家族のつながりが希薄になっていると言われる社会の中で、「家族的なつながり」を社会の中に作って行くという流れが来ている。その流れを作る大きな潮流がSNSやサロンなどのコミュニティであり、どの時代でも人は「個」を貫き通すことができないのだと感じることが多い。一方で、「家族的なつながり」を社会が探し求める中で、従来の日本社会が持っていた「家族のつながり」もまた、その存在感を高めていると感じる。もちろん、そのつながりの数的な要素は減少しているのだけれど、希薄化する家族のつながりに、ある種の憧憬を感じることも多くなっているのではないか。

 

朝井リョウの「星やどりの声」は、そうした「家族のつながり」をストレートなテーマとして扱い、多少の粗さはあるもののまっすぐにそのテーマに向き合っている。6人の姉弟が、父親の死に対していかに向き合って行くのか。それぞれの年齢、性別、性格などの違いが、「死」に向き合う姿勢の違いを浮き彫りにする。ある者は現実的にそれを捉え、ある者は象徴的に父親の死というものを心の中に抱えている。ただ、たとえその向き合い方に姉弟間に差はあれど、それぞれが目指す終着点は共通している。それは、今目の前の現実からの脱却であり、その先に見据えたそれぞれの幸せである。

 

その「終着点」は物語の後半から終盤にかけて非常にわかりやすい形で表現されるのだけれども、それぞれが向かっている先にあるものが共通しているという事実こそが、現代社会の中で「家族のつながり」を失いつつある自分たちに深く突き刺さるのではないだろうか。

 

自分自身の話になるが、自分たちの家族は昨年、「祖母」という存在を失った。厳密にいうと、祖母はまだ存命なのだが、家族間のささいな出来事の積み重ねが大きな波となり、これまでの関係性を維持することが難しくなってしまった。もともと、祖母と自分たちとは血のつながりはなかったのだけど(ここを話出すと長くなるから割愛)、それまで祖母はまぎれもなく家族だったし、今でもそうでありたいとも思っている。(実際はもう修復不可能な段階なのかもしれないけれど。)

 

両親と祖母が対立する中で、それをつなぎとめようと思ったのは自分たち兄弟であった。なぜこの対立が起こったのか。そもそも原因はなんなのか。どうすれば元どおりに戻ることができるのか。兄弟の中で、「祖母を失う」という事実に対して、その悲しさや虚しさの感じ方は差があったかもしれない。それでも、兄弟の中で共通していたことは、祖母を家族の中につなぎとめることであったし、それができなかったことに対してぶつけようのない怒りややるせない気持ちを持っていたことは同じだったと思っている。

 

それでも、その問題に向き合っているとき、自分たち「兄弟」は紛れもなく家族であったと今になって思う。普段接する中では感じることができない「つながり」を感じていた。どんなに違う価値観や人生観を持っていたとしても、家族に対して最後に残るものは同じであると感じることができた。それを実感するためにあまりに大きな代償を払うことになったのだけれど、そのときに感じたことが今後の人生の中で家族との関係性を考えるとき、もっとも大きなシンボルになるのは間違いないと思う。

 

昨年、是枝裕和監督の「万引き家族」が大ヒットを記録した。映画の構成や役者が素晴らしかったことは間違いないのだけれど、もっとも人々の心に印象的であったことは、血の繋がりのない者同士の「家族のつながり」ではないだろうか。今の社会の中で、血の繋がりのない者同士が家族のようなコミュニティを作ることは珍しくなくなったように感じる。(というより、社会がそれに対して寛容になったというべきかもしれないが。)そんなコミュニティの数が多くなっているにも関わらず、最後にたどり着くのはやはり「個」としての価値観の違いである。「個」を尊重するというと聞こえは良いかもしれないけれど、「血の繋がりがないから」という理由一つだけでどこまでも私たちは他人同士になれるし、他者を切り捨てることだってできる。たとえそれが自他共に「友達」と認め合っていたとしても。

 

でも、「血の繋がり」がないからと言って、絶対に「家族のつながり」を結ぶことができないのかというと、必ずしもそうではないと思う。そして、そのことを信じるからこそ、血の繋がらない同士の家族の物語である「万引き家族」が、あんなにも日本人の心の中に突き刺さったのではないだろうか。

 

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この物語は血の繋がりのある実の姉弟の話なのだけれど、「家族のつながり」が希薄化する現代社会の中で、それを持つための要素(条件)は何なのかというヒントが隠されているように思う。それは目の前にいる家族(相手)の幸せを無条件に願うことであり、見返りなく家族(相手)に与え続けること。そんな筆者の声がこの物語を通して聞こえてくるような気がする。

 

たとえ血の繋がりがなくても、それを持つことで「家族的なつながり」を超える「家族のつながり」ができるかもしれない。どちらが良いとか、全ての人が後者を持つべきだとは思わないけれど、自分自身は1人でも多くの後者を持ち続ける、あるいは作り続けていきたいのだと、この本を通して思った。