【書評】野村ノート/野村克也著

仕事をしていると、よくできる上司や同僚などは総じて、「こんなにも考えている」と感じることが多い。もちろん、多くの人にとって仕事中に「考えること」は必須ではあるのだけれど、「ここまで想定していたのか」と感心してしまう。自分なんかは、周りから見て「考えている」風には見えているみたいだが、どうも自分自身の感覚では直感で行動していることが多いように感じる。

 

ONと共にプロ野球の一時代を築き、引退後は指導者として「野村再生工場」とまで評された野村監督も、やはり「考えること」に長けた人物なんだと改めて思った。ID野球と言えば、データを駆使して相手の傾向を読み取り、常に確率の高い方法を選択して行く。データの集積が容易になった現代のプロ野球ではそのようなアプローチが常識になりつつあるが、まだ携帯もパソコンもなかった時代に、データをもとに「考える」ことを体系化して厳しいプロの世界を駆け抜けた野村監督は、やはり名選手・名監督と評するにに十分すぎる人だと思う。

 

中でも、目に見える配球のデータなどに加え、打者の肩の開き具合まで注目してリードしていたことには本当に驚いた。一見すると数値化しにくい部分にまで注目し、それを自分の頭で考えて体系化する。そしてそれを選手に伝えることで成長を促す。そんなプロセスを見ていると、おそらく野村監督がもしプロ野球選手にならなくても、ビジネスマンとして十分に活躍できたに違いない。

 

上にも書いたように、自分がすごいと感じる人は総じて考える「量」が多い。一つの事象に対して、360度くまなく見回し、様々な視点から物事を捉えている。それを繰り返すことにより、正しい戦略と戦術が連動し、圧倒的な結果につながって行く。

 

面白いのは、彼らも決して思考の「質」が高いというわけではないということだ。その視点を別の知見から応用したり、ゼロベースで前提条件を変えるというところまではいかない。話していても、ある部分については自分の方が明確に言語化できているのではないかと感じることもある。でも、何か行動をして結果を残して行く中では思考の「質」の部分はあまり関係ないように思う。たとえ知識がなくても、視野が狭くても、その部分に関してある一定の考える「量」をこなせば、お金も稼げるだけの結果を出せるのではないかと思うのだ。

 

最近、テレビでクイズ番組を見ていても、回答者の優秀さには感嘆させられる。誰も知らないようなことを知っていたり、思わぬ視点から問題を捉えて瞬時に解答したり。何百年努力をしてもこの人たちの足元にも及ばないなと少し卑屈になってしまうほどに。でも、世の中のきちんと結果を出している人を見ると、決してそこまでの能力は必要ない。自分の仕事の領域について、質がどうであれ正しい思考の「量」をこなすことで、ある程度の域にまでは達することができる。

 

本の中で野村監督は、野球選手は野球博士でないといけないと語っている。だから、わざわざ審判部長を招いてルール講座を開き、選手にテストまでさせたそうだ。ルールを覚えたからといって決して成績が伸びるわけではないけれど、勝負をかけて大一番で、一瞬の判断が求められるときに、ルールの知識が必要になることもあるだろう。要は「オタク」の域に達するまで知識をつけ、考える「量」をこなすきっかけを与えていたのだと思う。

 

今はグーグルで検索すると、すぐに答えが出てくる。その答えに至るプロセスは特に気に留めることもなく、今の時代は具体的な解決策や結果が求められる。ニュースを見ていても、スクロールをすると専門家やユーザーのコメント欄があって、その物事を見る視点や、そのニュースに対する評価までもが表示されてしまう。本来はその人自身で起こすべき「考える」という行為を、他の人が奪ってしまっているような構図になっている。

 

でも、そんな中で得た知見は実生活や仕事では全く役立たない。頭では理解しても、行動ベースにまで落とすことは難しいだろう。本当に役立つのは、自分で考えて得た知見である。そして、その知見を得るためには、思考の「質」は特に関係なく、思考の「量」で決まるものだと思うのだ。それは世の中をひっくり返すような画期的なアイデアや解決策ではないかもしれないが、そんなものはクイズの優秀な回答者たちに任せておけばいい。

 

これからの社会を渡っていく上で、生存戦略としての考える「量」の必要性。エリートでなくても、頭が良いと言われなくても、考える「量」はこなすことができる。現に、才能の面ではONに叶わないと言っていた野村監督が、プロ野球歴代2位の600本以上のホームランを放ち、一時代を築いたのだ。

 

天才だけでなく、凡人も高みを目指せると感じさせる本。良書。