やりがいのある仕事とは何か。

この時期になると、目のあたりにかゆみが広がり、仕事でも集中が続かない。社会人になって何回か冬を通り過ぎたが、また、目の周りが赤黒くなり、「喧嘩でもして殴られたの?」と言われる季節がやってくる。

 

目の周りのかゆみが現れたのは、社会人1年目の頃から。医者にかかったり、自分でも色々調べて原因を探した結果、そのすべての要因はストレスにあると自分の中で結論づけた。

ストレスフルな社会。毎日営業成績の数字に追われる日々を続けると、身体の1ヶ所や2ヶ所はかゆくなる。これはもう体質だと割り切っている。

 

仕事はしんどくて辛いもの。

 

いくつかの冬を越えて仕事についての考え方が最近やっと落ち着いてきた。この考えを自分なりに解釈して理解し、腹落ちするまでに時間がかかった。でも、今だから言える。はっきりと自信を持って。

 

仕事ってしんどいわ。

 

行き先が定まらないままふらふらと企業の説明会を渡り歩いていた就活生の頃は、仕事はやりがいに満ちて、楽しいものだと漠然と考えていた。企業のエントリーシートにも「やりがいを実感できると思ったから」と書いたような記憶がある。当時の自分としては真面目に仕事について考え、後悔しないようにと考えて絞り出した言葉であったが、何回目かの冬を迎えようとしている今、仕事に対して別の視点を持つようになった。

 

付け加えると、「仕事はしんどいもの」という考えに対して自分の中では悲壮感などのマイナスな要素はない。ただ客観的な事実としてそう捉えている。いや、そう考えた方がラクだと思っているという方が正しいかもしれない。今後何十年と「働く」中で、その考えの方が自分にはあっている気がする。

 

いま勤めている会社は、従業員約2000人、売上高数百億円、東証一部上場。一般にいう大企業だ。給料はそんなに悪くないし、残業もそこまで多いわけではない。2000人の従業員の約8割で営業職で、いわゆる営業会社というやつである。

 

営業というと「成績が悪かったら怒られる」「顧客リストの上から下まで何回も電話させられる」「飛び込み営業を何件もする」「お客さんに支払いを催促する」などのステレオタイプなイメージがあるかもしれない。結論から言うと、そのイメージはほぼ正解だ。何年か営業として働く中で、その全てのことを経験してきた。怒鳴られ続けたり、自分が契約を取り損ねたせいで、上司がその上司に怒られるのをじっと見てるなんてこともあった。そこで感じた苦しみは社会人として働く中では一生忘れないと思う。もちろん、電話をかけ続けて怒られることもあるし、飛び込み営業でも担当者に会えないことの方が圧倒的に多い。電話や飛び込みの数などは数字で管理されるし、毎日部署全員の営業成績が載ったメールが送られてくる。褒められるのは頑張った人ではなく、売った人。売らなければ給料も下がる。つまりは結果が全ての世界。そして、その仕事は数年たった今でも毎日続いている。同期は何人も辞めたし、自分も成績不振で左遷された。しんどいと思うことは毎日。仕事をしなくていいのならこの仕事はしないだろう。

 

でも、そんな仕事のすべてが嫌いなわけではない。いや、正しくは嫌いではなくなった。考えを変えた結果、捉え方が変わった。

 

働き始めた頃は、仕事は楽しいものややりがいのあるものであるべきと考えていた。理想の仕事は毎日楽しくて、充実して、キラキラしている。そう思っていた。でも、そのイメージを持って自分の足元をみたとき、その理想と現実とのギャップに驚愕する。仕事は楽しくないし、キラキラもしていない。常にどんよりと曇っている。そんな中で仕事をしていると、充実感を持って仕事をしていないのは自分が悪いからだと感じてしまう。理想の仕事が出来ない自分に対して強烈な劣等感を覚える。隣の芝生は鮮やかに青く見える。

 

そうこうしているうちに転職サイトを覗くようになった。求人の内容を見て、条件や仕事内容を比較する。「自分の仕事がこうだったらいいのに」。散々画面をスクロール挙句、ため息をついて携帯のスリープボタンを押す。ブラックアウトした真っ黒な画面に自分の疲れた顔が映る。

 

でも、少しだけ想像してみる。さっき見ていた仕事をしていると想像する。朝出勤してパソコンに電源を入れ、連絡事項がメールで流れてくるのを確認する。時間になると会議室に向かう。会議の内容は来週の重要なプレゼンの打ち合わせ。前日に目をこすりながら自宅で仕上げた資料は修正の赤だらけ。会議が終わるとお昼に出て、帰ってから資料の修正、電話の対応、明日の準備。そうして時間は17時を過ぎる。働き方改革の煽りを受け、残業規制に引っかからないように早めに退社打刻する。しばらく仕事を続けたあと、オフィスを出る。疲れたなーなんて言いながら、帰りの電車で溜まっていたメッセージに一つずつ返信していく。

 

仕事が変わったって本質は何も変わらないのだ。会社によって多少の違いはあっても、資料作って、誰かに報告して、残業もする。どの仕事でも基本的に同じ要素。本質的には何も変わらない。

 

そんな中で、仕事が楽しくてやりがいがあるべきだなんてことを考えても辛いだけ。だから、そう考えるのを辞めた。仕事はしんどいし、つらいもの。でも、そう考えると何かが変わった。仕事をマイナスに捉えなくなったのだ。

 

仕事ぶりを上司に褒められる。会社の商品を販売し、お客さんに感謝される。「またお願いするから!」。そう言ってくれる。「〇〇さんの広告、社長がすごく褒めてましたよ!」「色々作戦練った甲斐がありましたね!」「ノルマ達成したからインセンティブ支給!」「今月頑張ったから寿司でも食べに行こうか」。

 

仕事は辛い。でも、節目ごとに仕事の意義や人の暖かさに触れることもある。飛び込み営業先で「よう来たな!」とお茶を飲ませてくれたり、リストを上から下まで電話していると「ええタイミングで電話くれた!すぐ来て!」ということがあったり。「〇〇の評価、よくしておいたから次給料上がるよ!」「◯◯さん、本当にありがとう。感謝してる。」なんて。

 

辛い仕事の中でそんなことがあると、この仕事も悪くないなと思う。「しんどい」のも仕事だから仕方ないという気持ちになる。うまく自分の気持ちをコントロールできる。一見するとマイナスに捉えているようなこの考え方が、自分の仕事に対する姿勢を良いものにしてくれる。

 

今、社会では仕事について「楽しさ」や「やりがい」を求めすぎているように思う。「楽しくてやりがいのある仕事をすべきだ!」と人は言う。採用ホームページを見ると、目をキラキラさせた社員が笑顔で仕事について語っている。

 

でも、必ずしも仕事をそのようなものとして捉えなくてもいいと思う。仕事はしんどいとか、辛いとか感じることは悪いことではない。なぜなら、仕事の中身は本質的に面白くないからだ。

 

医者も、弁護士も、アイドルも、俳優も、営業も、クリエイティブディレクターも、すべての仕事の中身は面白くないことの繰り返しだと思う。それ自体にやりがいを感じることは難しいし、楽しもうとしても出来ないことが多いかもしれない。働く以上は責任がつきまとうし、お金がそこに発生する以上は仕方ない。世の中の誰もが正解とする「やりがいのある仕事」や「楽しい仕事」なんてないのだ。

 

でも、その単調な仕事に、自分なりのやりがいや楽しさを見つけることはできる。やりがいとは「その仕事をする理由」と言い換えることができるかもしれない。それは給料でもいいし、早く帰れることでもいい。もちろん仕事の中身でもいいのだけれど。目の前の仕事にそれを見つけられる人と、そうでない人がいるだけだ。

 

1年目の冬、異動を告げられたときにある先輩に言われた。

 

「仕事は何をしても辛い。そんなの当たり前。でも、そんな仕事に対して自分なりの意義や理由づけをしていくことが、働くということだと思うんだよ。」

 

この言葉に何回救われたことか。今後働き続ける中で、この言葉だけはずっと忘れないと思う。

冬が、今年もやってくる。