何もない辺境の村に、インターネットがつながったら。

坂の上の雲」のドラマを今観ている。

もうすでに8年前の作品になるのだが、ずっと観ようと思っていても中々できず、お盆休み中の会った大学時代の友人のススメをいい機会にしようと思い、観始めた。

 

また詳細や感想は観終わったあとにまとめたいと思うが、ドラマを観ながら感じていたことが、最近考えていたあるテーマと被ると思っていた。

 

それは、日本人が英語を学ぶということについて。

 

坂の上の雲」が英語がテーマというわけではない。

 

ただ、あの明治という時代の中で、西欧列強の技術を積極的に学んだ日本人の精神と、現代の日本の中で英語を学ぶという精神は、何か共通しているものもあるんじゃないかと考えついた。

 

あの当時、日本の外部環境の変化は凄まじく、西欧列強による清国の群雄割拠、アメリカの登場、そしてロシアの南下など、日本存亡に関わる重大な出来事が日々起こっていた。

 

ペリー来航からの戊辰戦争までの幕末期は、西欧に対抗する国づくりの主導権を誰が握るのかという争いであった。佐幕派か、倒幕派か、そして自分自身はどちらに着くのか。その時期においては、海外の技術を取り入れるということは一部の藩で行われていたけれど、日本全体で西欧から学ぶという姿勢はまだまだ発展途上であった。

 

しかし、戊辰戦争で新政府が勝利し、西南戦争でいわゆる「サムライ」が滅ぶ前後から、日本は本格的に海外に進出していく。

 

伊藤博文など薩長を中心とした新政府の中心人物を次々と海外に送り込み、その社会の仕組みを学ばせ、それを基に内閣制度や国会開設などの日本での国づくりを推進して行った。

 

そんな時代が明治の終わりまで続くのであるが、その間、凄まじいまでの向上心を持って積極的に西欧に学んだ日本人の精神の根本にあったものは何なのか。

 

それは、「自分の国を強くする」「自分の国を良くする」「平等な民主主義社会、理想社会を創る」とか、そんな生ぬるい思いではなかったのではないかと思う。もちろん、かの有名なクラーク博士が残した言葉である「少年よ、大志を抱け-Boys, Be ambitious!」という精神はあったのだが、それを超える精神があったのだと思う。

 

ちなみに、この言葉の日本語訳は「少年よ、大志を抱け」と美しい日本語である。しかし、英語を見ると、"ambition"=野心という言葉の派生語である"ambitious"を使っていることから、忠実に訳すと、「他人を蹴落としてでも、どんな手段を使ってでも這い上がる気持ちを持て」という意味になると思う。そう解釈してからはこの言葉がすごく好きになった。

 

話を戻す。

それを超える精神は何か。

それはやはり「危機感」なのだと思う。

 

危機感というと、普段日常的に使う言葉であるから、何となく「キキカン」と無機質に流してしまうのだが、ここでいう危機感はもっと切迫したもので、西欧列強に学ばないと国が滅びる可能性が極めて高いというかなり強い気持ちである。

 

清国を見よ。朝鮮を見よ。

国を改革しないことは自分たちの国が滅ぶことを意味する。

 

そんな危機感を、当時の日本人は政治家や軍人から一般市民まで広く共有していたのだと思う。

 

この話を踏まえて、話を英語に戻す。

 

従来、英語というのは日本において、プラスアルファのスキルとして捉えられてきた。何と言っても世界第3位の経済大国。皆が羨む理想の先進国。大学教育も当然のことながら日本語で行われる。

 

そこには英語を学ぶという必要性は極めて低かったと言ってもいい。

 

でも、時代は変わった。

 

ここで僕は言いたいのは、グローバル化で英語が必要になって、世界に出る機会が多くなったから英語が必要とか、そんなことを言いたいのではない。

 

今、時代は進んでいる中で特に顕著なのが情報革命である。いつ何時、何処にいても誰もが簡単に情報にアクセスできるようになった。1日100万人が利用するターミナル駅から、路線も通らないような田舎の町でも、インターネットによって瞬時につながることができる。そしてそれは国を超え、今やアフリカの貧しい村でもインターネットが利用できる。

 

Googleはここ数年で、人口10億人を超えるインド全土にWi-Fiを整備する計画を発表している。

 

それが実現するとどうなるか。

 

日本の人口1億2千万人をはるか超える人数が、ネット環境に接続し、英語によって公開されるハーバードやスタンフォードなどの世界の英知と瞬時につながる。それはインドに限らず、アジア、アフリカ、中東の紛争地域など、新興国と呼ばれる国々を次々と繋いでいくだろう。

そして、そこで学ぶ人たちは、かつて明治の日本人が感じたような危機感を感じているだろう。いや、危機感というよりかは、実際に国が荒れてしまったのだから、危機感よりも遥かに強い気概で学問に取り組んで来るだろう。

 

二度と悲劇を自分の国で繰り返してはならない。学ぶことによって、今度は自分が国を守らなければならない。そんな思いの若者が、10億、20億の単位で日本以外の国には多くいるのだ。

 

そんな人たちと、英語を学ばない日本人が今後10年、20年単位で対等に渡り合えるのか。今は世界第3位の大国が、これが10位、20位だと一体どうなってしまうのか。

 

僕自身も今、英語の教員免許を取るために勉強している。

自戒を十二分に込めて、危機感を持って英語を学びたいと思う。