Stay hungry, stay foolishはちょっと意味がわからない。

大学受験の際に英語を勉強してから、細々と英語の勉強を続けている。学生時代には短期間だが語学留学(という名のほぼ旅行)も経験したが、今では仕事をしながらなので、勉強する時期とそうでない時期が2ヶ月周期くらいで繰り返されている感じだ。もっぱら、自分はヒアリングの方があまり得意ではなく、TOEICなどではリーディング(いわゆる文法や読解などの知識面)はいいのだが、ヒアリングは基礎レベルの点数を叩き出したりするなど、なんとも安定しない近頃である。

 

そんな話はさておき、「英語」という語学に関していうと、受験生の頃に予備校の先生がすごく興味深い話をしていて、その話を今でも英語を勉強するときによく思い出す。

 

その話の内容とは、「英単語の中では、日本人が理解できない概念が存在する」ということだ。

 

例えば、"owe"という単語。

辞書を引くと「借りがある」という意味が出て来る。

単純にそのまま訳すことができればいいのだが、例文の中ではそれではなんとも表現しにくいものも出て来る。

”We owe it to the world to do our part”(マーク・ザッカーバーグ スピーチより)

 

これはFacebookの創業者であるマーク・ザッカーアーグのスピーチの一説だが、これを訳すと「私たちは世界に対して自分の役割を全うする義務がある」というような意味になる。本来の「借りがある」という意味からは少し違っているようにも感じる(無理やり解釈できないこともないが、少し不自然)。

 

他にも”available”(利用できる)とか、そんなものも日本語に訳しにくい。

つまり、どうしても意味を解釈する上では、欧米人と日本人では共有し得ない概念が存在するのはないかと思う。「わびさび」とか「余韻」という感覚は日本人特有であると言われるように、欧米人しか理解できない概念もあるのかもしれない。

 

その話をするならば、最近すごく思うのが、かの有名なスティーブ・ジョブズのスピーチも、少し理解できない概念があると感じる。特に最後の一説。

 

"Stay hungry, stay foolish."(貪欲であれ、愚かであれ)

 

シンプルな英文ということもあり、あのジョブズといえばこれみたいな感じになっているけれど、よくよく考えてみれば、この分も意味を捉えることは難しい。

 

スピーチは3つのセクションから成り立っており、

①点と点を長期的な視点で結ぶことを考えること 

②愛と喪失についてー仕事への愛とアップル追放について 

③死ー死を常に意識し続けることによって行動すること 

が述べられている。

 

そして、スピーチの結びに、ホール・アース・カタログの一節から、先の一文を引用している。

 

僕が少し腑に落ちないのが、スピーチ全体を通して、ジョブズの貪欲さや愚かさというのがあまり伝わってこないことだ。「貪欲さ」でいうと、確かに仕事への探究心は持っていたが、「貪欲」と表現するのは少し違うような気がするし、「愚かさ」でいうと、具体的に何を指しているのかがピンとこない。あれだけ、自分をさらけ出したスピーチの最後が「ハングリー精神を持て!馬鹿であれ!」というのも何か納得できない。この文章自体がジョブズの言葉ではなく引用であることや、単に僕の読解力の問題かもしれないが、この文を綺麗に説明できる日本人も少ないではないかと思う。

 

スピーチ全体の趣旨を踏まえると、これはすごく感覚的な意味合いで、「自分主体で、常に直感に従え」という意味に近いのではないかと僕は考えている。それはそれで素晴らしい感覚だけど。

 

この最後の一節が日本人だけなく、欧米人からも支持されていることから、すごく共感のある文章だったんだなと思ったが、日本語訳の「貪欲であれ、愚かであれ」は、多分ジョブズの言葉の意味の半分も意味を捉えてないような気がする。

 

だから、Twitterなどでプロフィールのところにその一節を書いている人を見ると、「本当にお前、意味わかっているのか!?」「この俺に100字以内で説明せよ!」みたいに思っている。笑

 

これは本当に自分本位の勝手な意見で、あの一節に関する明快な解答があるかもしれないけど、とりあえずはこんなことを考えている。

 

でも、この「共有し得ない概念がある」ということを認識することはとても重要ではないかと最近すごく思うのだ。

 

身近な例でいうと宗教のことで、イスラムやインドのヒンドゥーなどは明らかに日本人には理解できないのだなと思う。他にも、中国や韓国などの近隣諸国の国家観も、日本人には理解できない部分が存在するのだと思う。

 

大切なのは、全てを理解しようという姿勢ではなく、共有し得ないことを認識することではないかと考えている。そうすることで、過剰に腹を立てて心を乱されることもないし、粛々と客観的な視点で問題に対処することができる。

 

「全てを理解し、尊重する」というところから諦めることも、時には幸せになることだってあるんじゃないかと最近つくづく思うのである。