なぜ、教育は必要なのか。

「まんが パレスチナ問題」という本を読んでいる。

大学の専攻が国際政治であり、中東のイラク問題で論文も書いたことから、この分野については関心を持っているのだが、いかんせんややこしい事象が多く、勉強をしようもなかなか取り掛かりづらい分野であった。

 

そんな分野でもあるにもかかわらず、この本はパレスチナ問題の流れを、聖書の記述や宗教との関わりも含めて分かりやすく解説している。もう十数年前に発売された本だが、今でも根強い人気があるようだ。

 

読み進めていく中で、印象に残ったというか、この本に込められたメッセージを感じ取ったのだが、それが「なぜ教育は必要なのか」ということであった。

 

パレスチナ問題で、避けて通れないものが「ユダヤ」の歴史である。中東の歴史はユダヤの歴史であり、現在進行形でこの問題は多くの国を取り巻いている。

 

ユダヤ人とは、人種や血統的集団ではなく、ユダヤ教を基礎にした宗教的集団である。

モーゼのエジプト脱出やキリスト教の誕生など、ユダヤ人の歴史には常に迫害の歴史があった。その最たる例が、今後数千年も人類に記憶されるのであろう、ナチスドイツによるホロコーストである。その迫害の歴史を乗り越えて建国された国がイスラエルであり、イスラエルの誕生が現在も中東に大きな影を落とすパレスチナ問題を生み出したのである。

 

ユダヤの歴史についてはまだまだ無知であるので、これからも勉強し続けたいと思うのだが、今回この本を読んで興味深かったのが、ユダヤというのが科学的根拠を持った人種や血統的集団ではなく、ユダヤ人の民族意識、つまり「私はユダヤ人である」というアイデンティティに担保された民族意識であるということであった。

 

民族意識であるから、自分がユダヤ人か否かというのは主観的な要素である。そして、その民族意識をもたらすものが、親や学校での教育であったりする。つまり極端な話、教育によってユダヤ人として教育される人とそうでない人がいるだけなのだ。

 

今回の本の中に秀逸な例があった。

アラブ人の親から生まれた子とユダヤ人の親から生まれた子が同じ日に同じ病院で生まれ、何かの拍子に2人が入れ替わってしまった場合、その入れ替わった2人はどうなるだろうか。この2人に人種などの血統的な違いはない。ただ、そこにあるのは話す言語、信仰する宗教の違いがあるだけである。

 

そうなると、もともとアラブ人の親から生まれた子であっても、ユダヤ人の親に育てられればその子はユダヤ人となり、その逆も同様である。2人が異なるのは彼らが育った環境だけである。ユダヤ人(イスラエル)とアラブ人(パレスチナ)が対立している今、入れ替わった2人は、元来同じ民族である者たちに銃を向けることもあるだろう。元々同じ民族でも「違うよ」と教えられるだけで。

 

つまり、その人の育った環境=教育が、その人の民族意識を作り、アイデンティティを作り、敵を作り、味方を作るのだ。ここに教育の重要性が存在するのだと思う。

 

育った環境次第で、自分の行動が変わってしまう。好きなものの対象や嫌いなもの、憎しみの対象も全て「人間の教育」によって作られる。その人の世の中の見方が、教育によって作られるのである。それが教育の本質なのである。

 

この本質を捉えると、なぜ教育が必要なのかということが見えて来ると思うのだ。

 

貧困(という生き方や思想)がこの世界には数多く存在する。貧困の中で学校にも通えず、親に従って働くしかない子どもが、その世界しか知ることなく育ってしまうと、親と同じように貧困(という生き方や思想)の中でしか生きていけなくなる。そして、貧困(という生き方や思想)は連鎖する。

 

貧困(という生き方や思想)の中でも、味方(ドラッグや窃盗など)がいて、敵(国家や社会システム)がいる。そして、敵は否定し、破壊してしまうのがこの世の中の常である。

 

教育を通して、自分たちが生きる世界とは別の世界があるということを知らないと、悲しみは連鎖するだけだ。別の世界を知り、自分の味方や敵が、大きな平和で豊かな社会では絶対的にそうではないということを知ったとき、悲しみの連鎖は止まるのである。すなわち、教育の根源的な目的は、貧困(という生き方や思想)を、広い世界を見せることによって根絶することであると思うのだ。

 

教育はなぜ必要なのか。

 

この問いには様々な答えが存在するのだと思う。でも、聞かれてぱっとすぐに答えられる人は少ないのではないだろうか。当然に思えても整理できないことは往々にしてある。だからこそ、自分なりの教育観を持つことが必要なのだと思う。

 

あなたはなぜ、教育が必要だと思いますか?