ワークライフバランスについて思うこと

ワークライフバランス」。

 

ここ数年でこの言葉を聞く機会が非常に多くなった。

広義の意味において、この言葉は「仕事だけではなくプライベートも充実しましょう」という視点に立つ。

 

「モーレツ社員」という言葉が象徴するように、戦後以降の日本においては、会社に属し、その組織のために尽くすことが美徳とされた。戦前戦中において天皇が信仰の対象であったように、戦後の日本社会においては会社が人々の信仰の対象となり、会社の発展を信じることが、自分自身の幸せにもつながっていた。

 

近年の労働問題においてはそんな価値観から生まれる、いわゆる「社畜」については問題視され、仕事だけではなく、人生そのものを楽しもうという社会の流れになってきている。

 

僕自身、この社会の流れについては非常に同意するところであり、大賛成だ。それぞれが自分の時間を大切にし、特に自分の愛する家族との時間が増えるというのは本当に幸せなことだと思っている。僕は誰か好きな人(恋人だけでなく家族、友人も含め)のために、自分の持っているものを与え続けることが最も幸せな生き方ではないだろうかと考えているので、そのように働き方改革やワークライフバランスによって、好きな人と一緒にいる時間が増えるだけで、人生は本当に豊かになるのではないかと思っている。

 

それでも、何かこの風潮に違和感を感じている自分も確かにいる。

 

例えば、休みの日に仕事のことを考えることや、それについての本を読むなど、仕事で成果を上げるために自分の時間やお金を使っている人に対し、社会の中でそのような人たちを「社畜」と一方的に決めつけ、「あの人の人生はつまらない」だとか「仕事しかあの人にはない」などと言って軽蔑するような風潮が社会の中であるんじゃないかと思う。「そこまで仕事のことを考えている人って、ワークライフバランスが取れていないよね」という話になり、「そんな人ってもう時代遅れだよね」というような論調が多い。

 

そして、仕事の進捗や成果如何に関わらず、とにかく定時になったら帰るということが最も素晴らしいことであるとされる(ように見える)。

 

でも、それってちょっと本質からずれているんじゃないかと思うのである。

 

ワークライフバランスの概念の出発点

 

ワークライフバランスの言葉の本質は、人生の質を高めることにある。人生の質を高めることにより、自分自身が幸せになるということが、この言葉に込められた本来の願いであったりする。その幸せが、人によって定義が違うわけで、もちろん家族との時間を過ごすことが幸せであるという人もいれば、仕事によって世の中を変えるということが幸せであるという人も多くいる。

 

後者の人の場合、休みの日に仕事について考えたり、本を読むことが自分の幸せにつながることで、そのことはすなわちワークライフバランスを高めているということになる。

 

大切なのは、ワークライフバランスということが全て、「仕事を切り上げてプライベートな時間や家族といる時間を獲得しましょう」という一義的な意味だけではないということである。

 

仕事だけが幸せじゃない。人の幸せは多様性に富むべきだという本来の出発点から「ワークライフバランス」という概念が生まれたにも関わらず、「仕事をすること=幸せではない」という多様性に欠けた不寛容な考えも社会の中で生まれてしまったように思う。自分にとって本当の幸せとは何なのかということをじっくり考えることをすっ飛ばした結果、「ワークライフバランス=仕事とプライベートをきっちり分けましょう」という非常に表面的な意味でしか社会の中で理解されなくなったように思うのだ。

 

終身雇用が崩れ、成果が求められる社会では、己の能力が生きていく上で否が応でも求められる。そんな中で、仕事とプライベートをきっちりと分け、仕事について深く考えている人を見下すことが、必ずしもプラスに働くことはない。むしろ、そうすることが自分に牙を向けることにもなりうると思う。

 

何も仕事についてもっとストイックに考えるべきだと言っているのではない。言いたいことは「ワークライフバランス」という言葉を表面的に理解し、社会の流れに何となく流されるのは危険であるということだ。

 

そんな流れに呑まれないために、自分自身にとって何が幸せなんだろうかを考えることが大切ではないかと、そんなことを最近考えている。