なぜ、教育は必要なのか。

「まんが パレスチナ問題」という本を読んでいる。

大学の専攻が国際政治であり、中東のイラク問題で論文も書いたことから、この分野については関心を持っているのだが、いかんせんややこしい事象が多く、勉強をしようもなかなか取り掛かりづらい分野であった。

 

そんな分野でもあるにもかかわらず、この本はパレスチナ問題の流れを、聖書の記述や宗教との関わりも含めて分かりやすく解説している。もう十数年前に発売された本だが、今でも根強い人気があるようだ。

 

読み進めていく中で、印象に残ったというか、この本に込められたメッセージを感じ取ったのだが、それが「なぜ教育は必要なのか」ということであった。

 

パレスチナ問題で、避けて通れないものが「ユダヤ」の歴史である。中東の歴史はユダヤの歴史であり、現在進行形でこの問題は多くの国を取り巻いている。

 

ユダヤ人とは、人種や血統的集団ではなく、ユダヤ教を基礎にした宗教的集団である。

モーゼのエジプト脱出やキリスト教の誕生など、ユダヤ人の歴史には常に迫害の歴史があった。その最たる例が、今後数千年も人類に記憶されるのであろう、ナチスドイツによるホロコーストである。その迫害の歴史を乗り越えて建国された国がイスラエルであり、イスラエルの誕生が現在も中東に大きな影を落とすパレスチナ問題を生み出したのである。

 

ユダヤの歴史についてはまだまだ無知であるので、これからも勉強し続けたいと思うのだが、今回この本を読んで興味深かったのが、ユダヤというのが科学的根拠を持った人種や血統的集団ではなく、ユダヤ人の民族意識、つまり「私はユダヤ人である」というアイデンティティに担保された民族意識であるということであった。

 

民族意識であるから、自分がユダヤ人か否かというのは主観的な要素である。そして、その民族意識をもたらすものが、親や学校での教育であったりする。つまり極端な話、教育によってユダヤ人として教育される人とそうでない人がいるだけなのだ。

 

今回の本の中に秀逸な例があった。

アラブ人の親から生まれた子とユダヤ人の親から生まれた子が同じ日に同じ病院で生まれ、何かの拍子に2人が入れ替わってしまった場合、その入れ替わった2人はどうなるだろうか。この2人に人種などの血統的な違いはない。ただ、そこにあるのは話す言語、信仰する宗教の違いがあるだけである。

 

そうなると、もともとアラブ人の親から生まれた子であっても、ユダヤ人の親に育てられればその子はユダヤ人となり、その逆も同様である。2人が異なるのは彼らが育った環境だけである。ユダヤ人(イスラエル)とアラブ人(パレスチナ)が対立している今、入れ替わった2人は、元来同じ民族である者たちに銃を向けることもあるだろう。元々同じ民族でも「違うよ」と教えられるだけで。

 

つまり、その人の育った環境=教育が、その人の民族意識を作り、アイデンティティを作り、敵を作り、味方を作るのだ。ここに教育の重要性が存在するのだと思う。

 

育った環境次第で、自分の行動が変わってしまう。好きなものの対象や嫌いなもの、憎しみの対象も全て「人間の教育」によって作られる。その人の世の中の見方が、教育によって作られるのである。それが教育の本質なのである。

 

この本質を捉えると、なぜ教育が必要なのかということが見えて来ると思うのだ。

 

貧困(という生き方や思想)がこの世界には数多く存在する。貧困の中で学校にも通えず、親に従って働くしかない子どもが、その世界しか知ることなく育ってしまうと、親と同じように貧困(という生き方や思想)の中でしか生きていけなくなる。そして、貧困(という生き方や思想)は連鎖する。

 

貧困(という生き方や思想)の中でも、味方(ドラッグや窃盗など)がいて、敵(国家や社会システム)がいる。そして、敵は否定し、破壊してしまうのがこの世の中の常である。

 

教育を通して、自分たちが生きる世界とは別の世界があるということを知らないと、悲しみは連鎖するだけだ。別の世界を知り、自分の味方や敵が、大きな平和で豊かな社会では絶対的にそうではないということを知ったとき、悲しみの連鎖は止まるのである。すなわち、教育の根源的な目的は、貧困(という生き方や思想)を、広い世界を見せることによって根絶することであると思うのだ。

 

教育はなぜ必要なのか。

 

この問いには様々な答えが存在するのだと思う。でも、聞かれてぱっとすぐに答えられる人は少ないのではないだろうか。当然に思えても整理できないことは往々にしてある。だからこそ、自分なりの教育観を持つことが必要なのだと思う。

 

あなたはなぜ、教育が必要だと思いますか?

「無駄」な「共同体意識」を捨てるということ。

あのときは無駄だと思ったことが、時を経て自分の中で大きな価値となることが日々の生活の中では度々あると思う。あの飲み会で払ったお金、初対面の人と2時間もだらだらと雑談し続けたことなど、その直後には自己嫌悪に陥るくらい「無駄だった」と思うの中で、時間が経って思い返してみると、あれが成功を呼び寄せたことになっていたとうことも少なくないのではないか。

 

「クリエイティブな仕事はどこにある?」(2016年、是枝裕和・樋口景一、廣済堂書店』の「冬篇」において、そんな一見すると「無駄なもの」と、個人が持つ「共同体意識」の相関関係について非常に興味がある内容だったと思う。

 

「科学技術」「デジタル」「グローバル」が進む社会の中で重要とされるのが、物事に対する合理性や論理的一貫性である。例えば「会社の売り上げを最大化する」することが命題である場合、その目的に沿って合理的・論理的に事象を分析し、その目的までの最短ルートを探るということが社会の中では求められている。競争が激しくなる中で会社が存続を賭け、合理性を追求することは当然な流れだと思う。その考えが今後社会を形成し、成長していくことになることも理解できる。

 

その中では、ある種の「無駄な行為」は徹底的に削ぎ落とされ、削減されるべき「悪」であるということにもつながる。その代表的な例が、「共同体への帰属意識」である。

 

日本には長い間、終身雇用が社会で当然のことのように捉えられていた。会社の中で仕事をし、結婚をし、子供を育て、会社からの退職金で老後を暮らす。これが日本での幸せの形であった。社員は家族であり、上司は親であり、先輩同期後輩は兄弟のように、疑似家族の形態がそこにあった。でも、経済の停滞でそれを今後何年も運用することが難しくなる中で、終身雇用を前提としない働き方が世の中に浸透してきた。

 

その流れは一般的に「会社からの解放」として歓迎された。これからは自由に、自らが人生やキャリアを選択することができる。自分主体・自分中心の人生が選択可能になることは、「幸せの多様化」が進む現代の動きとも合致する。多くの人がこれからもそのような人生を歩んでいくことになるだろう。

 

しかし、この社会の流れの中で得たものは積極的に喧伝されるものの、一方で「共同体への帰属意識」がもたらしていたプラスの面も押さえていないと、単に「共同体意識=必要のない無駄なもの」となってしまい、本質からずれてしまうと思う。

 

終身雇用が一般的だった時代、共同体意識というのは非常に重要で、その意識こそが会社を大きくし、社会を豊かにし、結果的にそのことが個人の幸せを担保していた。でも、それが崩れた現代においては、自分の人生選択をする際に「共同体意識」は何の役にも立たず、無駄なもの=悪であり、社会から忌み嫌われるようになった。一方で、役に立つのが「知識」「スキル」であり、それをアピールする「自己アピール能力」「ブランディング能力」であったりする。

 

先に挙げた本の中で是枝さんが述べていたことは、会社などへの共同体意識が希薄になる社会の中、「自己アピール能力」「ブランディング能力」に長けた優秀な人材は多くなってきた。でも、その中で新たに自分が所属する共同体を探すことを繰り返す中、物事を全て自分自身のプレゼンにつなげるように物事を考えてしまっているということは認識しておかなければならないということだった。非常に興味深い考察だと思った。

 

前提として忘れてはいけないのは、人間は何らかの共同体に属していないと生きていけないということである。(是枝さんもそう述べている。)その共同体は一義的に「会社」を指すのではなく、例えば友達同士のコミュニティとか、自分で事業を立ち上げていても、そこに共同体は存在する。つまり、共同体とは人間同士のつながりやコミュニティと言い換えることができるかもしれない。

 

だから、会社などで人とのつながりは希薄化しても、SNSが発達している世の中は、本質的には変わりないということになる。

 

共同体探しを繰り返す中で、自己プレゼン能力は磨かれる一方、その先の目的を見失っていることも多いのではないかということだ。その目的とは、「幸せに生きる」ことであり、「社会をより良くする(この社会とは自分の視界内の狭い世界も指す)」ことであるのだが、極論、その目的こそが「共同体に帰属すること」ではないかと思うのだ。

 

分かりやすく言うと、「自分の居場所を作る」ことに意味が似ている。

 

「人がコミュニケーションを取る目的は、それ自体が目的であるからだ」などとはよく言われるが、人間自身、「共同体に所属し、人のつながりを感じる」ことが最も幸せを感じることではないかと思う。例えば「社会を変える」というのが目的であったとしても、結局は自分が変えた「社会」に所属していると感じることが幸せであったり、やりがいであったりするのではないか。

 

だから、よく社会の中で共同体意識が希薄になったということは、個々人が共同体と考える対象が変化してきたということだと思う。それが会社などの客観的な単位ではなく、友達同士やネット上でのつながりなど、客観的には判定しにくい要素を持つ共同体に変化してきたということだ。

 

その中では、一括りに共同体を無駄なものとして否定することは危険である。なぜなら、会社のような従来の共同体の価値観の中でも、人間のつながりというものは存在するからである。共同体を一辺倒に否定し、人間的なつながりまでも否定する必要はどこにもない。

 

例えば、自分が会社という共同体に嫌悪感を覚えていても、その共同体から得られるものはないと一括りに否定すべきではないと思う。自分も共同体に属しているのは同じであり、これからの人生も自分は共同体に属して生きていかなければならない。大切なことは、嫌悪感を抱く中でもその対象の本質は何なのかということを捉えることが大切なんだと思う。

 

共同体を否定して一人で生きて行くと言ったって、人のつながり自体は必要である。そして人とつながることは往々にして「無駄」と思われることも多くある。それでも、つながりを持ち続けること自体が、生きていく上では必要ではないだろうか。

 

 

 

 

 

卒業写真のあの人は、優しい目をしてる。

それは突然のことだった。

 

ある土曜日の朝、母から、祖父が危篤になったとの連絡が来た。

肺炎を起こし、意識がない。

もう数日もつかどうかと医師に言われたというのだ。

 

すぐに病院に向かうと母に伝え、母から聞いた話をすぐに電話で兄に伝えた。

話の途中でこらえきれなくなり、涙がこぼれた。

 

嫌な予感はあったのだ。

 

ちょうどその日は、祖父と祖母を老人ホームの見学に連れていく日だった。

隣県に住む祖父母を近くで面倒を見ることができるように、母が実家近くのホームに見学を申し込んでいた。僕は、祖父母が見学を終えたあと、祖父母を隣県の自宅まで送ることになっていた。

 

その前日の金曜日、仕事を終えて自分の家に帰ったとき、ふと祖父に連絡しようかと思った。祖父とは2ヶ月前に一緒に食事して以来、話をしていなかった。別に2ヶ月話をしないというのは珍しいことではないのだけれど、ここ数年は母からそれとなく言われていたということもあって、何かにつけて祖父母に連絡をしたり、会いに行くことにしていたから、これもタイミングだと思って連絡しようとしたのだ。

 

でも、僕は祖父に連絡はしなかった。

 

もう夜遅くで寝る前かもしれないと思ったのと、どうせ明日会うことになっているのだからわざわざ連絡する必要もないと思ったから、連絡しなかった。明日会ったときにゆっくり話をすればいい。そう考えて明日を待つことにした。

 

そしてそのまま朝を迎えたとき、母から連絡が来た。

 

急いで病院に向かうと、祖父はICUで眠っていた。苦しそうに息をしていて、呼びかけても反応を見せない。祖母からは、今日で会うのも最後になるだろうから、しっかり顔を見ていきなさいと言われた。眠っている祖父に対し、聞こえていないのを承知で声をかけ、励まし、そして心の中で別れを告げて、僕は病室を出た。

 

その日は日本列島が巨大な台風に襲われた日だった。電車の窓に雨が叩きつけられる音を聴きながら、帰路についた。なぜか頭の中で、松任谷由実の「卒業写真」が無限にリピートしていた。

 

約1ヶ月の闘病のあと、祖父は亡くなった。

その間、何回か祖父に会いに行った。

臨終には間に合わなかった。

 

最近、祖父が夢によく出てくる。

闘病している1ヶ月の間も何回か出てきたし、亡くなってからも数回、夢に出てくる。

祖父は元気で、笑って僕の方を見ている。でも、何も話さない。僕が呼びかけても静かに笑っているだけだ。そして、夢から覚める。

 

祖父が倒れる前の日に、連絡をすれば良かったと後悔している。祖父と話をしたいと思ったそのタイミングに、言葉を交わしたかった。また会えると思ったその次の日、大好きな祖父は遠くに行ってしまった。

 

今回のことで、考えるようになったことがある。

 

それは、誰かに会いたいとか、話をしたいとか、何かを伝えたいとか、そう思ったとき、すぐに行動すべきだということだ。また会える、いつかまたなんて思った先に、永遠に別れてしまうことだってあるのだ。

 

愛する人はもちろん、そんなに親しくない人でも、何かを伝えたいと思った瞬間にそれを伝えるべきなんだと思う。多分、それを今までしてこなかったことで、切れてしまった縁がいくつもあったのではないかと思うのだ。自分が気づかなかっただけで。

 

人生は有限である。その中で、その人と触れ合う時間なんてほんのわずかだ。

だから、その限られた時間の中でその人に会いに行き、話をして、何かを伝える。

その何気ないことに全力でなければならないのだと思う。

 

もう祖父とは話はできない。あの日話をしていたらどんな話をしたのだろう。

そんなことを考えながら、また僕は眠りにつくのである。

 

 

双子の兄弟について②双子にまつわるxについて。

半年ぶりの東京は、ずっと雨だった。

滞在した3日間で、太陽の影を見ることもなく、ただ細い水滴が前かがみに歩く人の上を落ちていく。

 

信号で立ち止まった交差点で、何気なく空を見上げると、その細い小さな水滴が通り過ぎる車のライトに反射して、落ちていく様をはっきりを見ることができた。

 

雨は一直線に地上の人に落ちてくるわけではなくて、風に揺られて、様々な角度で地面に着地する。これまで、雨粒というのは一直線に、憂鬱な自分に向けて針を刺すように落ちてくると思っていた。だから、降り乱れるその雨粒は何か新鮮で、信号が青になる数秒間、ずっと空を見上げていた。

 

東京滞在中、映画監督の西川美和の『映画にまつわるxについて』を読んでいた。

『ゆれる』『ディア・ドクター』などを発表し、人間が無意識にされけ出すずるさや脆さを、憎めない主人公を通して表現する映画監督で、映画のみならず、自身の映画を基に執筆した小説なども文学界で高い評価を受ける多彩な才能を持つ人だ。

 

前からこの監督については非常に興味があった。

なぜかというと、それは双子の兄からこの監督について色々聞いていたからであって、そんなに面白いというならば読んでみようかということで、東京にある兄の家から読み始め、関西に戻る飛行機や電車の中でもずっと読んでいた。

 

映画を作る上での裏話、撮影の秘話などを交えて非常に面白いエッセイで、読みながら声を出して笑いたくなる描写も多くある。

 

読んでいく中で最もこの監督について惹かれたのが、西川監督が脚本を書き始めたのは、25歳の冬であるということであった。映画業界で裏方として働いていた中で、いつか自分もこの世界から抜け出すという気持ちや怒りややるせなさが爆発した結果、脚本を広島の実家にこもって書き始めたのだという。

 

その話を読みながら、双子の兄は西川監督に自分を重ねて見ているのではないかと感じていた。

 

映像業界でディレクターとして働く双子の兄は、世間で俗にいう「業界人」だ。

一般的にイメージされる華やかな業界ではあり、有名人に会えるとか、美味しいものを食べるとか、ロケハンを通して旅行もできるとか、世間の人がいいなと羨むことは一通り経験しているようだ。ただ、それはその仕事のほんの一部に過ぎず、残りの99%は、この今の自分の仕事がどう作品と結びつくのかということを自問しながら、黙々と作業を続ける毎日だという。

 

前に、精神的にかなり参っているということもあったが、それは依然変わらず、作品ごとの責任や納期のプレッシャー、仕事量は一般のサラリーマンよりもはるかに多い。それでも、以前よりかは楽になって、時には意欲的に作品に取り組むこともできるようになったそうだ。

 

そんな兄が、最近脚本を書き始めている。それを発表するとか、誰かに読ませるのかというところまでは考えているかどうかはわからないが、自分が今感じていること、表現したい人間の特質などを自分なりに頭でまとめて脚本に書いている。ちょうど会社でも戦力になり始め、責任も仕事もこれまでよりもずっと多い中で、ただでさえ忙しいのに寝る間を惜しんで書いていることもあるのだろう。

 

なぜ、兄が脚本を書き始めたのか。

 

もちろん、以前からその分野に興味があり、学生時代からも取り組んでいたことである。しかし、精神的にもかなりきつい中でそれを書く動機というのがどこから生まれてくるのだろうか。

 

その中で、西川美和監督の脚本を読んだときに、ふと兄について納得したのであった。今のこの現状に抵抗する、この現状を打破するために、監督は「逃げるように」という表現を使っているが、それでも、いつか自分もという気持ちを悶々と滾らせながら、人間模様を脚本で描いていく。

 

いつの日かある俳優の話になった。学生映画を兄が作っていたとき、一緒に映画を作った学生が今や、注目の若手俳優として、世間の注目を浴びていた。学生時代にその俳優と一緒に映画を作ったというのだから、人に一回や二回でも自慢できることでもあるのにと思ったのだが、兄はその俳優について話すのが嫌そうだった。一緒に映画を作っていた他の友人たちが、飲み会のネタとして得意げに話すのもうんざりしているようだった。お前らは悔しくないのかと、心の中でずっと思っていたらしい。

 

自分たちが映画を作っているときももちろん、その俳優は常に自分たちを通り越し、スターダムに上り詰めるために、ただひたすらに努力し続けていた。同い年のその俳優が、その努力を認められてスターとなる中で、自分はただ会社で意味のあるかどうかもわからない仕事を淡々とこなしている。

 

そんなことに対する情けなさや、やりきれない思いが、兄を脚本へと駆り立てるのもしれない。でもいつか、その気持ちが実を結んでほしいなと僕は思うし、必ずいい方向に好転すると信じている。脚本を書いてどうするのという人も周りには多い。正直、そんなことするぐらいなら資格の一つや二つでもとったらどうかと周りが言っているのも知っている。それでも、僕は兄に脚本を書いていて欲しいし、それを多くの人が読むことを心待ちにしている。

 

僕がそう思うのはやはり、彼は自分自身であり、それを主観的に考えるからである。彼は常に一番の味方であると思うし、僕自身も彼の一番の味方であると思っている。ただただ、その努力が実を結んでいて欲しい。

 

雨は一直線に、針を刺すように地上に落ちてくるのではない。雨粒自身も風に揺られながら、自分が行く方向など定まらないまま、ゆらゆらと空中を彷徨う。ならば、冷たい雨でも、人々がそれに自分自身を見て暖かいと感じることもできるはずだ。

 

だから、昨日も今日も遅くまで働き、疲れたままでまた仕事に出て倒れそうになる兄の頭上に、雨粒がそっと落ちてくれることを願うのである。

情報を集めるうえで気をつけていること。

「本を読む」ということについて、最近考えることがある。

 

 

読む数自体はそこまで多いわけではないから、そんなたいそうな理論や知識ではないのだけれど、ここ2年ほどずっと考えていたことがようやく自分自身の中で整理をすることができた。そしてこのことは「本を読む」という行為のみならず、それを含めた「情報を集める」という行為そのものにおいて僕が大切にしたいと思うことでもある。

 

 

会社で勧められるということもあって、一般的にいう「自己啓発本」を読むことが前は多かったように思う。自己啓発本とは「働きがい」「生きがい」「人生の目的」などを扱ったものがそれにあたると思う。それらの本は物事に対する違った視点や考え方を読与えてくれるので、それ自体はとても良い機会であると感じていた。でも、読んでしばらく本の内容を思い出そうとしたとき、思ったより印象に残っていなかったということが非常に多かった。そのことが、僕をずっと悩ませていたことであり、本を読むということ、何を読むかということを考える転機となったのである。

 

 

そのことから僕が考えたことは「自分で考えて出した答えしか自分の中には残らない」ということだ。

 

 

先に挙げたような本たちには、「物事はこう考えると良い」「こういう視点が大切」という主観的なメッセージが多く含まれており、それはこの本たちが持つ他の本にはない魅力である。なるほどと思う記述が多いことも確かだ。それらの本を読んでいるとき、あるいは読んだ後というのは、確かにある種の「やる気」に包まれるのだけれども、それがなぜか長続きしない。

 

 

僕自身の考えであるが、その理由は、答えを探すための思考量がそんなに多くないからではないかということだ。

 

 

それらの本には、いずれも「答え」がきちんとした文章で用意されている。だから読んでいる最中に考えなくても、最後まで読みさえすれば答えにたどり着ける。答えとはすなわち、「自分自身がその本に求めていたこと」である。何かを知りたい、考えたいと思い、人は本を手に取る。その「答え」をすべて用意して待ってくれているのが自己啓発本である。

 

 

でも、その「答え」は「考える」という行為がないと決して身につかないものではないかと思うのである。

 

 

例えば学生時代、わからない数学の問題があったときに、最初から答えを見るのか、まずは少しでも自分で考え(仮説を立て)、模範解答と自分の答えがどう違うかを比較するのでは、後者のほうが後先ずっと長く身についたように思う。(答えを見て暗記するという勉強法も有名だが、数学を科目として捉えるのと物事の本質として捉えるのかというのはまた別問題だと思う。)

 

 

本を読むのも同じように、答えを見る前に(あるいは答えがないテーマについて)、「考える」という行為が必要なんだと思う。

 

 

それでは、どのような本を読みのが良いのかというのが僕の次の疑問である。

 

 

そして、そのことについて今は、なるべく「一次情報に近い情報」が多く盛り込まれた本を読むことが重要ではないかと考えている。

 

 

一次情報とはつまり、事実に近いということであり、現場最前線の情報であり、人の解釈がなされていないものである。物事をすべて目の前で見て考えるというのは不可能であり、ニュースあるいはネット・本を通じて情報を得る以上、一次情報を捉えるというのは不可能である。けれど、できる限り第三者の解釈を削ぎ落とした情報に触れることはできるのではないかと思っている。例えばそれは、ある出来事を実際に体験した当事者の話であり、それを目の前で見た人が語る淡々とした事実であると思う。

 

 

本を出すハードルが低くなり、誰もがニュースの批評家になれる現代では、一次情報に近い情報と、人の解釈が重ねられた二次情報以上の情報がごちゃまぜになってしまっている。だから、どれが真実かを読み取ることは非常に難しく、情報に解釈が重ねられるうちに物事の本質が失われ、論点がずれたり、全く当事者の意に反する解釈や憶測が流れたりするのだと思う。

 

 そんな中で、どのようにして一次情報に近い情報を手に入れるのかということで最近考えているのが、「多くの人の話に出てくる本」を読むことである。例えば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」やシェークスピアの戯曲など、現代人に多く引用されたり、オマージュされるものを読むことによって、一次情報に近い情報を手に入れることができるのではないかと考えている。

 

 

これらも本として出版されているものであり、その書き手でない以上一次情報ではないのだが、多くの人が何かの物事を語る上でこれらの情報に解釈を加える。その解釈を楽しむことも一つの娯楽ではあるけれど、何か物事の本質を捉えるということに関していうと、それらの本を実際に読んで自分自身で考えるという行為が重要になるのではないかと思うのである。

 

 

そうであるならば、限りなく一次情報に近い情報というのは、「聖書」ではないかと最近よく考える。「聖書」というものが、人々の視点や考え方を提示し、先ほど書いたような「答え」を提示するのは確かではあるのだけれど、人々の生活のみならず、政治・経済・宗教すべてにおいて物事の考え方の起点になっているという側面を捉えるならば、聖書は限りなく一次情報に近いのではないかと思う。

 

 

僕自身、今のところ司馬遼太郎シェークスピアも読めてはいないのだけれど、近いうちにはそれらに触れ、物事を考え直したいと考えている。(聖書はものすごく長いからどうしようかなと思っている。)

 

 

最初の話に戻る。

 

 

何も自己啓発本をもう読まないとか、そんなものはくだらないとかそういうことを言いたいのではない。(様々なところで引用されている自己啓発本はもはや限りなく一次情報に近い情報であるとも言える。)むしろ逆で、そのような本に触れることも必要であると考えている。例えばひどく悩んでいるときなどは、それを読みことにより救われることもあるだろう。だけど、あくまでバランスが大切なのであって、そのような一次情報に近い情報になるべく触れて、考える機会を持ちたいと考えている今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

皮肉という話。

インドの首都、デリーから夜行列車に乗り、12時間ほど走るとバラナシという街にたどり着く。日本人にとってはあまりにも有名な街で、THEインドという光景が当たり一面に広がる。列車を降り、駅の外に出ると、ほこりにまみれた街が顔を出し、けたたましい声やエンジン音がそこらじゅうに響き渡っている。

 

降りて来た乗客が日本人とわかると、リキシャーの客引きやストリートチルドレンたちが手を伸ばし、口々に自分の要求を口にする。これが非日常、かつては最貧国と呼ばれたインドの姿だ。

 

ここまでに書いたことは全て、インドのどの街にいてもあることで、広大な国土の中のいたるところにこのようなパワフルな瞬間が日々繰り返されていると考えると、人口12億人を超え、破竹の勢いで国が発展しようとすることも納得できるような気がする。

 

しかし、ここはインド・バラナシ。

他の街とは事情が違う。

ここは、多くのインド人にとっての世界の中心。

ヒンドゥー教の聖地なのだ。

 

街をガンジス川の方角に向けて歩くと、やがてガートと呼ばれる船着場に着く。そこでは多くのインド人たちが大人も子供も関係なく沐浴をし、身を清めている。

そして、夜になるとそこはプージャと呼ばれる祭りの中心地となり、インド人のみならず世界中の観光客たちが、その幻想的な祭りを見物するのである。

 

祭りも落ち着く22時頃、僕は人の少なくなったガートに進み出て、改めてここが10億人を超えるインド人にとっての世界の中心であるということを考えてみた。真っ暗なガンジス川を目の前にし、インド人が思いこがれるこの地について、この場所の意味を考えてみる。

 

いつかあの場所に行ってみたい。

 

そんな自分にとっての約束の地みたいなものがあるのってなんかいいなと思った。

それが宗教に基づくものであればその思いは一層強くなり、そこに来ることが人生の目的の大きな一つになったりする。いつでもその地を夢見て、大切な人と歩んでいく。たとえ年老いてもそこにたどり着くことで、その人の人生は救われる。

 

そんな場所を一つでも持てるインド人たちが羨ましいと、思った。

 

でも、同じときに僕の頭によぎったのは、バラナシの地に思いこがれるインド人たちのもつ皮肉についてだった。

 

今、インド社会にはカーストという習慣が根強く残っている。

法律でそれによる差別は禁じられているものの、宗教と結びつき、人々の生活に長い年月の間、身近にあったそのカーストが、今もインド社会に大きな影を落としていることも事実である。

 

そんな中でヒンドゥー教を深く信仰し、バラナシに思いこがれるほど、歪なインド社会の構造に組み込まれ、その結果、貧困から中々抜け出せず、バラナシに行くという夢が叶わぬまま力尽きてしまう。

 

バラナシに思いを寄せれば同じ分だけ、バラナシから遠ざかってしまう人々が、社会には一定数いるのではないだろうか。

 

僕が初めに考えていた、どこかの場所を信じることの尊さも、そのような皮肉を抱えながら生きて行く彼らに惹かれたからではないだろうかと思った。合理的ではない利にもならない。それでも、自分の目の前にある巨大な社会を信じ、ひたむきに懸命に生きて行くことが、たまらなく美しく、人々を惹きつけるのではないだろうか。

 

なぜ、日本人のこの僕が、20代の何も持たない平凡な男が、彼らが来ることができないこの地に足を踏み入れているのか。そんなことがいつまでの頭を離れない。

 

 

 

生きてほしいという誰かがいるということ。そして自分自身もそのような存在であるということ。

大学受験のために浪人をしていた年の冬、おそらく12月のはじめくらいだったと思う。

父と母と共に、父方の祖母の見舞いに行った。

 

小さい頃はよく祖父母の家に泊まっていた僕も、学年が上がるにつれ家に行くことも少なくなり、祖母ともしばらくは会っていなかった。祖母は以前から認知症を患い、父からそのことを聞いてはいたものの、認知症になるということが当時の僕はあまり具体的にイメージできず、「そうなのか・・・。」と言うしかできなかった。

 

だから、祖母と最後にまともに会話をした記憶が曖昧だ。

それでも、正月に会ったときのことで、箱根駅伝を観ながら他愛のない会話をしたことは今でも鮮明に覚えている。

 

病院に着き、病室の扉をあける。外はもう夕暮れ近くなっていた。

病室の窓から、明石海峡大橋がかすかにみえ、日が沈んで行く景色が印象的で、今も頭から離れない。

 

祖母は眠っていた。その傍に、うつらうつらしながら祖父が座っていた。

 

そのときに見た祖母の顔を、僕は一生忘れることはないだろう。

 

箱根駅伝を見ながら、いつも笑みを浮かべて穏やかな表情をした祖母はそこにはいなかった。目の焦点が定まらず、虚ろな表情をしている。あれだけ小さい頃に名前を呼ばれたのに、おそらく僕のことは認識していない。

 

名前を聞いても、僕の顔を見て父の名前を呼ぶ。もう話すこともできなくなっていた。来る直前に、父からある程度の病状は聞いていたものの、さすがに僕はショックを受けた。

 

4人部屋であったので、僕ら家族が来ると病室が手狭になる。

父と母がやっとのことで祖母を車椅子に乗せ、病室を出る。

人もまばらな日曜日の夕方、病院のロビーまで車椅子を押す。

 

そこで、30分くらい叔父とも世間話をし、折に触れて祖母に話しかけるも、反応は変わらず。僕らにはあまり興味を示さず、外の風景をぼうっと眺めている。

 

時間が来たので、病室に戻る。祖母と祖父にまたねと言って病室を出る。

 

帰りの車の中、頭がぼうっとしてぼんやりしていた。

今日あった出来事、祖母の表情、叔父との世間話。

そんなことを繰り返し考えながら、それでも最後は祖母のあの虚ろな表情が頭に思い浮かぶ。寂しいという気持ち、申し訳ないという気持ち、いろんなものが混ざった複雑な気持ちだった。

 

それでも、僕のそのような考えの末にたどり着く答えはいつも一つだった。

 

生きててほしい。

 

祖母の顔を見たときに、そう思った。

もう会話ができなくても、僕のことを覚えていなくても、ただ僕のために生きててほしいと思った。

 

いろんな感情が混ざった中で、その気持ちだけがはっきりとしていることが何か不思議で、そして泣けた。

 

祖母は、それから2ヶ月後、亡くなった。

最後にあった日と同じ、夕暮れ時に。

眠るようだったらしい。

 

僕の受験が一段落したその日、まさに試験が全て終わった直後だった。

僕の家族も、忙しい日々が一段落したまさにそのタイミングだった。

いつも周りに気遣いを忘れなかった祖母らしいと思った。

 

このことを思い出してよく考えるのは、人が生きる理由、生きなければいけない理由は、そこにあなたが生きてほしいと思う人がいるからだということだ。

 

親兄弟、友達、恋人、誰かひとりでもあなたに生きてほしいと思っている人がいるだけで、その人は大きな役割を果たしているのだと思う。

 

誰だって一度は死にたいとか、消えてしまいたいとか思うことがあると思う。

それでも、僕に生きてほしい人は必ず周りにいる。

それだけで、自分が生きている意味があるって言えるんじゃないだろうかと最近思うのである。