双子の兄弟について②双子にまつわるxについて。

半年ぶりの東京は、ずっと雨だった。

滞在した3日間で、太陽の影を見ることもなく、ただ細い水滴が前かがみに歩く人の上を落ちていく。

 

信号で立ち止まった交差点で、何気なく空を見上げると、その細い小さな水滴が通り過ぎる車のライトに反射して、落ちていく様をはっきりを見ることができた。

 

雨は一直線に地上の人に落ちてくるわけではなくて、風に揺られて、様々な角度で地面に着地する。これまで、雨粒というのは一直線に、憂鬱な自分に向けて針を刺すように落ちてくると思っていた。だから、降り乱れるその雨粒は何か新鮮で、信号が青になる数秒間、ずっと空を見上げていた。

 

東京滞在中、映画監督の西川美和の『映画にまつわるxについて』を読んでいた。

『ゆれる』『ディア・ドクター』などを発表し、人間が無意識にされけ出すずるさや脆さを、憎めない主人公を通して表現する映画監督で、映画のみならず、自身の映画を基に執筆した小説なども文学界で高い評価を受ける多彩な才能を持つ人だ。

 

前からこの監督については非常に興味があった。

なぜかというと、それは双子の兄からこの監督について色々聞いていたからであって、そんなに面白いというならば読んでみようかということで、東京にある兄の家から読み始め、関西に戻る飛行機や電車の中でもずっと読んでいた。

 

映画を作る上での裏話、撮影の秘話などを交えて非常に面白いエッセイで、読みながら声を出して笑いたくなる描写も多くある。

 

読んでいく中で最もこの監督について惹かれたのが、西川監督が脚本を書き始めたのは、25歳の冬であるということであった。映画業界で裏方として働いていた中で、いつか自分もこの世界から抜け出すという気持ちや怒りややるせなさが爆発した結果、脚本を広島の実家にこもって書き始めたのだという。

 

その話を読みながら、双子の兄は西川監督に自分を重ねて見ているのではないかと感じていた。

 

映像業界でディレクターとして働く双子の兄は、世間で俗にいう「業界人」だ。

一般的にイメージされる華やかな業界ではあり、有名人に会えるとか、美味しいものを食べるとか、ロケハンを通して旅行もできるとか、世間の人がいいなと羨むことは一通り経験しているようだ。ただ、それはその仕事のほんの一部に過ぎず、残りの99%は、この今の自分の仕事がどう作品と結びつくのかということを自問しながら、黙々と作業を続ける毎日だという。

 

前に、精神的にかなり参っているということもあったが、それは依然変わらず、作品ごとの責任や納期のプレッシャー、仕事量は一般のサラリーマンよりもはるかに多い。それでも、以前よりかは楽になって、時には意欲的に作品に取り組むこともできるようになったそうだ。

 

そんな兄が、最近脚本を書き始めている。それを発表するとか、誰かに読ませるのかというところまでは考えているかどうかはわからないが、自分が今感じていること、表現したい人間の特質などを自分なりに頭でまとめて脚本に書いている。ちょうど会社でも戦力になり始め、責任も仕事もこれまでよりもずっと多い中で、ただでさえ忙しいのに寝る間を惜しんで書いていることもあるのだろう。

 

なぜ、兄が脚本を書き始めたのか。

 

もちろん、以前からその分野に興味があり、学生時代からも取り組んでいたことである。しかし、精神的にもかなりきつい中でそれを書く動機というのがどこから生まれてくるのだろうか。

 

その中で、西川美和監督の脚本を読んだときに、ふと兄について納得したのであった。今のこの現状に抵抗する、この現状を打破するために、監督は「逃げるように」という表現を使っているが、それでも、いつか自分もという気持ちを悶々と滾らせながら、人間模様を脚本で描いていく。

 

いつの日かある俳優の話になった。学生映画を兄が作っていたとき、一緒に映画を作った学生が今や、注目の若手俳優として、世間の注目を浴びていた。学生時代にその俳優と一緒に映画を作ったというのだから、人に一回や二回でも自慢できることでもあるのにと思ったのだが、兄はその俳優について話すのが嫌そうだった。一緒に映画を作っていた他の友人たちが、飲み会のネタとして得意げに話すのもうんざりしているようだった。お前らは悔しくないのかと、心の中でずっと思っていたらしい。

 

自分たちが映画を作っているときももちろん、その俳優は常に自分たちを通り越し、スターダムに上り詰めるために、ただひたすらに努力し続けていた。同い年のその俳優が、その努力を認められてスターとなる中で、自分はただ会社で意味のあるかどうかもわからない仕事を淡々とこなしている。

 

そんなことに対する情けなさや、やりきれない思いが、兄を脚本へと駆り立てるのもしれない。でもいつか、その気持ちが実を結んでほしいなと僕は思うし、必ずいい方向に好転すると信じている。脚本を書いてどうするのという人も周りには多い。正直、そんなことするぐらいなら資格の一つや二つでもとったらどうかと周りが言っているのも知っている。それでも、僕は兄に脚本を書いていて欲しいし、それを多くの人が読むことを心待ちにしている。

 

僕がそう思うのはやはり、彼は自分自身であり、それを主観的に考えるからである。彼は常に一番の味方であると思うし、僕自身も彼の一番の味方であると思っている。ただただ、その努力が実を結んでいて欲しい。

 

雨は一直線に、針を刺すように地上に落ちてくるのではない。雨粒自身も風に揺られながら、自分が行く方向など定まらないまま、ゆらゆらと空中を彷徨う。ならば、冷たい雨でも、人々がそれに自分自身を見て暖かいと感じることもできるはずだ。

 

だから、昨日も今日も遅くまで働き、疲れたままでまた仕事に出て倒れそうになる兄の頭上に、雨粒がそっと落ちてくれることを願うのである。

情報を集めるうえで気をつけていること。

「本を読む」ということについて、最近考えることがある。

 

 

読む数自体はそこまで多いわけではないから、そんなたいそうな理論や知識ではないのだけれど、ここ2年ほどずっと考えていたことがようやく自分自身の中で整理をすることができた。そしてこのことは「本を読む」という行為のみならず、それを含めた「情報を集める」という行為そのものにおいて僕が大切にしたいと思うことでもある。

 

 

会社で勧められるということもあって、一般的にいう「自己啓発本」を読むことが前は多かったように思う。自己啓発本とは「働きがい」「生きがい」「人生の目的」などを扱ったものがそれにあたると思う。それらの本は物事に対する違った視点や考え方を読与えてくれるので、それ自体はとても良い機会であると感じていた。でも、読んでしばらく本の内容を思い出そうとしたとき、思ったより印象に残っていなかったということが非常に多かった。そのことが、僕をずっと悩ませていたことであり、本を読むということ、何を読むかということを考える転機となったのである。

 

 

そのことから僕が考えたことは「自分で考えて出した答えしか自分の中には残らない」ということだ。

 

 

先に挙げたような本たちには、「物事はこう考えると良い」「こういう視点が大切」という主観的なメッセージが多く含まれており、それはこの本たちが持つ他の本にはない魅力である。なるほどと思う記述が多いことも確かだ。それらの本を読んでいるとき、あるいは読んだ後というのは、確かにある種の「やる気」に包まれるのだけれども、それがなぜか長続きしない。

 

 

僕自身の考えであるが、その理由は、答えを探すための思考量がそんなに多くないからではないかということだ。

 

 

それらの本には、いずれも「答え」がきちんとした文章で用意されている。だから読んでいる最中に考えなくても、最後まで読みさえすれば答えにたどり着ける。答えとはすなわち、「自分自身がその本に求めていたこと」である。何かを知りたい、考えたいと思い、人は本を手に取る。その「答え」をすべて用意して待ってくれているのが自己啓発本である。

 

 

でも、その「答え」は「考える」という行為がないと決して身につかないものではないかと思うのである。

 

 

例えば学生時代、わからない数学の問題があったときに、最初から答えを見るのか、まずは少しでも自分で考え(仮説を立て)、模範解答と自分の答えがどう違うかを比較するのでは、後者のほうが後先ずっと長く身についたように思う。(答えを見て暗記するという勉強法も有名だが、数学を科目として捉えるのと物事の本質として捉えるのかというのはまた別問題だと思う。)

 

 

本を読むのも同じように、答えを見る前に(あるいは答えがないテーマについて)、「考える」という行為が必要なんだと思う。

 

 

それでは、どのような本を読みのが良いのかというのが僕の次の疑問である。

 

 

そして、そのことについて今は、なるべく「一次情報に近い情報」が多く盛り込まれた本を読むことが重要ではないかと考えている。

 

 

一次情報とはつまり、事実に近いということであり、現場最前線の情報であり、人の解釈がなされていないものである。物事をすべて目の前で見て考えるというのは不可能であり、ニュースあるいはネット・本を通じて情報を得る以上、一次情報を捉えるというのは不可能である。けれど、できる限り第三者の解釈を削ぎ落とした情報に触れることはできるのではないかと思っている。例えばそれは、ある出来事を実際に体験した当事者の話であり、それを目の前で見た人が語る淡々とした事実であると思う。

 

 

本を出すハードルが低くなり、誰もがニュースの批評家になれる現代では、一次情報に近い情報と、人の解釈が重ねられた二次情報以上の情報がごちゃまぜになってしまっている。だから、どれが真実かを読み取ることは非常に難しく、情報に解釈が重ねられるうちに物事の本質が失われ、論点がずれたり、全く当事者の意に反する解釈や憶測が流れたりするのだと思う。

 

 そんな中で、どのようにして一次情報に近い情報を手に入れるのかということで最近考えているのが、「多くの人の話に出てくる本」を読むことである。例えば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」やシェークスピアの戯曲など、現代人に多く引用されたり、オマージュされるものを読むことによって、一次情報に近い情報を手に入れることができるのではないかと考えている。

 

 

これらも本として出版されているものであり、その書き手でない以上一次情報ではないのだが、多くの人が何かの物事を語る上でこれらの情報に解釈を加える。その解釈を楽しむことも一つの娯楽ではあるけれど、何か物事の本質を捉えるということに関していうと、それらの本を実際に読んで自分自身で考えるという行為が重要になるのではないかと思うのである。

 

 

そうであるならば、限りなく一次情報に近い情報というのは、「聖書」ではないかと最近よく考える。「聖書」というものが、人々の視点や考え方を提示し、先ほど書いたような「答え」を提示するのは確かではあるのだけれど、人々の生活のみならず、政治・経済・宗教すべてにおいて物事の考え方の起点になっているという側面を捉えるならば、聖書は限りなく一次情報に近いのではないかと思う。

 

 

僕自身、今のところ司馬遼太郎シェークスピアも読めてはいないのだけれど、近いうちにはそれらに触れ、物事を考え直したいと考えている。(聖書はものすごく長いからどうしようかなと思っている。)

 

 

最初の話に戻る。

 

 

何も自己啓発本をもう読まないとか、そんなものはくだらないとかそういうことを言いたいのではない。(様々なところで引用されている自己啓発本はもはや限りなく一次情報に近い情報であるとも言える。)むしろ逆で、そのような本に触れることも必要であると考えている。例えばひどく悩んでいるときなどは、それを読みことにより救われることもあるだろう。だけど、あくまでバランスが大切なのであって、そのような一次情報に近い情報になるべく触れて、考える機会を持ちたいと考えている今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

皮肉という話。

インドの首都、デリーから夜行列車に乗り、12時間ほど走るとバラナシという街にたどり着く。日本人にとってはあまりにも有名な街で、THEインドという光景が当たり一面に広がる。列車を降り、駅の外に出ると、ほこりにまみれた街が顔を出し、けたたましい声やエンジン音がそこらじゅうに響き渡っている。

 

降りて来た乗客が日本人とわかると、リキシャーの客引きやストリートチルドレンたちが手を伸ばし、口々に自分の要求を口にする。これが非日常、かつては最貧国と呼ばれたインドの姿だ。

 

ここまでに書いたことは全て、インドのどの街にいてもあることで、広大な国土の中のいたるところにこのようなパワフルな瞬間が日々繰り返されていると考えると、人口12億人を超え、破竹の勢いで国が発展しようとすることも納得できるような気がする。

 

しかし、ここはインド・バラナシ。

他の街とは事情が違う。

ここは、多くのインド人にとっての世界の中心。

ヒンドゥー教の聖地なのだ。

 

街をガンジス川の方角に向けて歩くと、やがてガートと呼ばれる船着場に着く。そこでは多くのインド人たちが大人も子供も関係なく沐浴をし、身を清めている。

そして、夜になるとそこはプージャと呼ばれる祭りの中心地となり、インド人のみならず世界中の観光客たちが、その幻想的な祭りを見物するのである。

 

祭りも落ち着く22時頃、僕は人の少なくなったガートに進み出て、改めてここが10億人を超えるインド人にとっての世界の中心であるということを考えてみた。真っ暗なガンジス川を目の前にし、インド人が思いこがれるこの地について、この場所の意味を考えてみる。

 

いつかあの場所に行ってみたい。

 

そんな自分にとっての約束の地みたいなものがあるのってなんかいいなと思った。

それが宗教に基づくものであればその思いは一層強くなり、そこに来ることが人生の目的の大きな一つになったりする。いつでもその地を夢見て、大切な人と歩んでいく。たとえ年老いてもそこにたどり着くことで、その人の人生は救われる。

 

そんな場所を一つでも持てるインド人たちが羨ましいと、思った。

 

でも、同じときに僕の頭によぎったのは、バラナシの地に思いこがれるインド人たちのもつ皮肉についてだった。

 

今、インド社会にはカーストという習慣が根強く残っている。

法律でそれによる差別は禁じられているものの、宗教と結びつき、人々の生活に長い年月の間、身近にあったそのカーストが、今もインド社会に大きな影を落としていることも事実である。

 

そんな中でヒンドゥー教を深く信仰し、バラナシに思いこがれるほど、歪なインド社会の構造に組み込まれ、その結果、貧困から中々抜け出せず、バラナシに行くという夢が叶わぬまま力尽きてしまう。

 

バラナシに思いを寄せれば同じ分だけ、バラナシから遠ざかってしまう人々が、社会には一定数いるのではないだろうか。

 

僕が初めに考えていた、どこかの場所を信じることの尊さも、そのような皮肉を抱えながら生きて行く彼らに惹かれたからではないだろうかと思った。合理的ではない利にもならない。それでも、自分の目の前にある巨大な社会を信じ、ひたむきに懸命に生きて行くことが、たまらなく美しく、人々を惹きつけるのではないだろうか。

 

なぜ、日本人のこの僕が、20代の何も持たない平凡な男が、彼らが来ることができないこの地に足を踏み入れているのか。そんなことがいつまでの頭を離れない。

 

 

 

生きてほしいという誰かがいるということ。そして自分自身もそのような存在であるということ。

大学受験のために浪人をしていた年の冬、おそらく12月のはじめくらいだったと思う。

父と母と共に、父方の祖母の見舞いに行った。

 

小さい頃はよく祖父母の家に泊まっていた僕も、学年が上がるにつれ家に行くことも少なくなり、祖母ともしばらくは会っていなかった。祖母は以前から認知症を患い、父からそのことを聞いてはいたものの、認知症になるということが当時の僕はあまり具体的にイメージできず、「そうなのか・・・。」と言うしかできなかった。

 

だから、祖母と最後にまともに会話をした記憶が曖昧だ。

それでも、正月に会ったときのことで、箱根駅伝を観ながら他愛のない会話をしたことは今でも鮮明に覚えている。

 

病院に着き、病室の扉をあける。外はもう夕暮れ近くなっていた。

病室の窓から、明石海峡大橋がかすかにみえ、日が沈んで行く景色が印象的で、今も頭から離れない。

 

祖母は眠っていた。その傍に、うつらうつらしながら祖父が座っていた。

 

そのときに見た祖母の顔を、僕は一生忘れることはないだろう。

 

箱根駅伝を見ながら、いつも笑みを浮かべて穏やかな表情をした祖母はそこにはいなかった。目の焦点が定まらず、虚ろな表情をしている。あれだけ小さい頃に名前を呼ばれたのに、おそらく僕のことは認識していない。

 

名前を聞いても、僕の顔を見て父の名前を呼ぶ。もう話すこともできなくなっていた。来る直前に、父からある程度の病状は聞いていたものの、さすがに僕はショックを受けた。

 

4人部屋であったので、僕ら家族が来ると病室が手狭になる。

父と母がやっとのことで祖母を車椅子に乗せ、病室を出る。

人もまばらな日曜日の夕方、病院のロビーまで車椅子を押す。

 

そこで、30分くらい叔父とも世間話をし、折に触れて祖母に話しかけるも、反応は変わらず。僕らにはあまり興味を示さず、外の風景をぼうっと眺めている。

 

時間が来たので、病室に戻る。祖母と祖父にまたねと言って病室を出る。

 

帰りの車の中、頭がぼうっとしてぼんやりしていた。

今日あった出来事、祖母の表情、叔父との世間話。

そんなことを繰り返し考えながら、それでも最後は祖母のあの虚ろな表情が頭に思い浮かぶ。寂しいという気持ち、申し訳ないという気持ち、いろんなものが混ざった複雑な気持ちだった。

 

それでも、僕のそのような考えの末にたどり着く答えはいつも一つだった。

 

生きててほしい。

 

祖母の顔を見たときに、そう思った。

もう会話ができなくても、僕のことを覚えていなくても、ただ僕のために生きててほしいと思った。

 

いろんな感情が混ざった中で、その気持ちだけがはっきりとしていることが何か不思議で、そして泣けた。

 

祖母は、それから2ヶ月後、亡くなった。

最後にあった日と同じ、夕暮れ時に。

眠るようだったらしい。

 

僕の受験が一段落したその日、まさに試験が全て終わった直後だった。

僕の家族も、忙しい日々が一段落したまさにそのタイミングだった。

いつも周りに気遣いを忘れなかった祖母らしいと思った。

 

このことを思い出してよく考えるのは、人が生きる理由、生きなければいけない理由は、そこにあなたが生きてほしいと思う人がいるからだということだ。

 

親兄弟、友達、恋人、誰かひとりでもあなたに生きてほしいと思っている人がいるだけで、その人は大きな役割を果たしているのだと思う。

 

誰だって一度は死にたいとか、消えてしまいたいとか思うことがあると思う。

それでも、僕に生きてほしい人は必ず周りにいる。

それだけで、自分が生きている意味があるって言えるんじゃないだろうかと最近思うのである。

 

 

 

 

 

ワークライフバランスについて思うこと

ワークライフバランス」。

 

ここ数年でこの言葉を聞く機会が非常に多くなった。

広義の意味において、この言葉は「仕事だけではなくプライベートも充実しましょう」という視点に立つ。

 

「モーレツ社員」という言葉が象徴するように、戦後以降の日本においては、会社に属し、その組織のために尽くすことが美徳とされた。戦前戦中において天皇が信仰の対象であったように、戦後の日本社会においては会社が人々の信仰の対象となり、会社の発展を信じることが、自分自身の幸せにもつながっていた。

 

近年の労働問題においてはそんな価値観から生まれる、いわゆる「社畜」については問題視され、仕事だけではなく、人生そのものを楽しもうという社会の流れになってきている。

 

僕自身、この社会の流れについては非常に同意するところであり、大賛成だ。それぞれが自分の時間を大切にし、特に自分の愛する家族との時間が増えるというのは本当に幸せなことだと思っている。僕は誰か好きな人(恋人だけでなく家族、友人も含め)のために、自分の持っているものを与え続けることが最も幸せな生き方ではないだろうかと考えているので、そのように働き方改革やワークライフバランスによって、好きな人と一緒にいる時間が増えるだけで、人生は本当に豊かになるのではないかと思っている。

 

それでも、何かこの風潮に違和感を感じている自分も確かにいる。

 

例えば、休みの日に仕事のことを考えることや、それについての本を読むなど、仕事で成果を上げるために自分の時間やお金を使っている人に対し、社会の中でそのような人たちを「社畜」と一方的に決めつけ、「あの人の人生はつまらない」だとか「仕事しかあの人にはない」などと言って軽蔑するような風潮が社会の中であるんじゃないかと思う。「そこまで仕事のことを考えている人って、ワークライフバランスが取れていないよね」という話になり、「そんな人ってもう時代遅れだよね」というような論調が多い。

 

そして、仕事の進捗や成果如何に関わらず、とにかく定時になったら帰るということが最も素晴らしいことであるとされる(ように見える)。

 

でも、それってちょっと本質からずれているんじゃないかと思うのである。

 

ワークライフバランスの概念の出発点

 

ワークライフバランスの言葉の本質は、人生の質を高めることにある。人生の質を高めることにより、自分自身が幸せになるということが、この言葉に込められた本来の願いであったりする。その幸せが、人によって定義が違うわけで、もちろん家族との時間を過ごすことが幸せであるという人もいれば、仕事によって世の中を変えるということが幸せであるという人も多くいる。

 

後者の人の場合、休みの日に仕事について考えたり、本を読むことが自分の幸せにつながることで、そのことはすなわちワークライフバランスを高めているということになる。

 

大切なのは、ワークライフバランスということが全て、「仕事を切り上げてプライベートな時間や家族といる時間を獲得しましょう」という一義的な意味だけではないということである。

 

仕事だけが幸せじゃない。人の幸せは多様性に富むべきだという本来の出発点から「ワークライフバランス」という概念が生まれたにも関わらず、「仕事をすること=幸せではない」という多様性に欠けた不寛容な考えも社会の中で生まれてしまったように思う。自分にとって本当の幸せとは何なのかということをじっくり考えることをすっ飛ばした結果、「ワークライフバランス=仕事とプライベートをきっちり分けましょう」という非常に表面的な意味でしか社会の中で理解されなくなったように思うのだ。

 

終身雇用が崩れ、成果が求められる社会では、己の能力が生きていく上で否が応でも求められる。そんな中で、仕事とプライベートをきっちりと分け、仕事について深く考えている人を見下すことが、必ずしもプラスに働くことはない。むしろ、そうすることが自分に牙を向けることにもなりうると思う。

 

何も仕事についてもっとストイックに考えるべきだと言っているのではない。言いたいことは「ワークライフバランス」という言葉を表面的に理解し、社会の流れに何となく流されるのは危険であるということだ。

 

そんな流れに呑まれないために、自分自身にとって何が幸せなんだろうかを考えることが大切ではないかと、そんなことを最近考えている。

 

学生時代に稼いだお金は学生のうちに使い切るべきだよという話。

学生時代に一番長い時間を過ごしていたのは、間違いなくバイト先だと思う。
ファーストフード店で大学1年の6月からバイトを始め、卒業までの4年間、1ヶ月ほど抜けた時期などはあったけれど、ずっと働き続けていた。

目的は明確で、とにかく遊ぶお金が欲しかった。

大体週に5回のシフトで、時給が上がる22時以降のシフトに入ることが多かった。
テスト前も完全に休むわけではなく、短時間あるいは土日の夜などはシフトに入っていた。
就活中などは遊びの予定なども入らず、かと言って旅行に行くわけにもいかないので定期的なシフトを組みやすく、4年間の中で一番働いた時期になった。

バイトとの兼ね合いで様々な苦労はあったものの、学生時代にバイトをがっつりしたというのは良い思い出だ。

その中で、年に稼ぐお金は扶養範囲内ぎりぎりの100万円ほど。
月に換算すると8〜9万円くらい。
周りの友達よりもかなり多く稼いでいたし、使うお金も周囲と比較してもかなり大きかったと思う。

稼いだお金は、海外に行くことに多く使った。
大学の長期休みになると、1週間〜1ヶ月くらいまで、様々な場所に旅行に行き、その折に大きな額のお金を使うというのがパターンだった。

また、服なども好きだったから、定期的に街に買い物に出ては、周囲の友達より少し高い服を買って満足していた。

お金の使い方で後悔することももちろんあったが、使うことで経験したことは非常に大きなものになった。日本では出会うことのできない人に会ったり、様々な経験をしたり、今の自分を作る価値感に多く出会えたものを、バイトをしてお金を稼ぐことによって得られたと思う。

学生時代の心残り

でも、一つだけ心残りがある。
それは、社会人になるときの預金残高が10万円だったことだ。

たった10万円しか残っていなくて落ち込んだ。という話ではない。
10万円も残して学生時代を終えたことを非常に後悔しているのだ。
なぜ、全部使い切らなかったのか。
その10万円で、さらに貴重な体験をできたかもしれないのに。

学生時代に10万円を稼ぐことは容易ではない。
授業に出ながら週に6日くらいバイトをして、必死に両立させないと到底その額には届かない。
かなり大変な思いをしないと、10万円を貯めることはできないのだ。
だから大変だった分、旅行の行き先について、どこに行くのか、誰と行くのかについて本当に真剣に考えるし、何かを買うにしても、本当にこれは必要なのか、欲しいものなのかを考える。
社会人になると、10万円を貯めることは学生時代ほど難しくなくなるので、使い方が少し甘くなるというか、使うことに対して大した考えなく使ってしまったりする(一気に使うことは少ないけど)。

自分で大変な思いをして稼いだお金を使うからこそ、使い方で学ぶことが非常に多いんじゃないだろうか。

その学ぶチャンスを最後に逃してしまったことは、学生時代の心残りの一つでもある。
貯めるのも大事!という意見もあるかもしれないが、使うからこそ学ぶこともある。
そしてそれが大変な思いをして貯めたお金ならば。

そんなことを考えている。



「 今ではないいつか」にわかるということ

今はわからないだろうけど、いつかわかるときが来る。」

 

親や学校の先生、仕事先の上司など、言われた場面を思い出すとキリがない。

いつもそのセリフを聞いたとき、「ああ、またこれかよ」と思うのが常だ。「そんなの知らねえよ」と。

 

でも最近、この言葉があてはまるようなこともあるよなと思って。

 

一つのことは馬鹿でもする

 

野球部に入っていた高校時代、テスト前になると練習がセーブされ、早く帰れる日が続く。普段の平日の放課後はいつも練習があったので、帰りは大体夜の7時を まわり、練習で疲れて暗い中を帰るので、夕方の5時にクラスの同級生とおしゃべりしたり、マクドナルドに寄ってダラダラするのが新鮮だった。

 

その新鮮さに身を任せると、まるで勉強をしようなんて思わない。結局テスト勉強も中途半端になり、テストの点数も中の下の点数ばかりになる。

 

それは何も僕だけではなくて、他の野球部員の大半(一部の奴は勉強もするんだけど)もそんな感じだった。

 

そんな部員を前に、顧問の先生は「野球1つなら馬鹿でもやる、勉強と野球の2つを両立してこそ初めて価値が出る」と叱ったものだった。

 

その当時の僕はその言葉を聞き流し、そうかもなと思いつつ、とりあえず野球だけやってればいいんじゃねとか、野球部だけ成績悪かったら顧問の片身も狭いんだろうなぐらいにしか考えていなかった。

 

つまり、言われていることの意味をはっきり理解出来ていなかったのだ。

 

でも、あれから数年が経ち、社会に出てみると、その言葉の意味が理解出来るようになってきた。

 

いま現在、自分の生活の中心は仕事だ。
時間が遅いし営業で数字を追っているため、帰ったらクタクタですぐに寝てしまう。正直ワークライフバランスの「ワ」の文字も出てこないような状況だ。勉強したいことや観たい映画や読みたい本などは溢れるほどあるけれど、それに時間を割けないでいる。

 

その状況を「まあ仕事があるからな」と最初は捉えていたものの、自分のすごいなと思う人の話を聞いていると、やはりそれは危ないと最近思ってきた。そういう人達はどんなに仕事が忙しくても、きっちりと時間を割き、様々な知識を蓄積している。

 

そしてそんな人に限って、ちゃんときれいな奥さんがいて、子供がいて、まさに幸せそうに日々を暮らしている。

 

それを見ていると、ふと高校時代の野球部の顧問がいったあのセリフが浮かんでくる。
馬鹿でも仕事の1つはする。仕事以外のものと両立させて初めて価値が出る。
今なら言われるかもしれない。

 

そうだよな。両立してこそ価値が出るんだよな。今わかったよ。それなら高校時代ももう少し頑張っておけば良かった。

 

そんなことをあてもなく考える。けれど過ぎた日々はしょうがない。むしろあのとき理解出来なかったのは仕方なかったのだ。まだまだ子供だったんだから。

 

でも、今こうして気付くことが出来た。
時間がかかったけれど、ちゃんとわかった。

 

大切なことは、いつかわかるかもしれないと思って話を聞くこと。そして忘れないこと。そして、いつかわかると信じて人に話をすること。

 

今日もまた色んなことを言われた。
けれど、いつかわかるときが来るかもしれない。そしてそれがわかったとき、自分が大人になったんだなと実感するのだろう。