やりがいのある仕事とは何か。

この時期になると、目のあたりにかゆみが広がり、仕事でも集中が続かない。社会人になって何回か冬を通り過ぎたが、また、目の周りが赤黒くなり、「喧嘩でもして殴られたの?」と言われる季節がやってくる。

 

目の周りのかゆみが現れたのは、社会人1年目の頃から。医者にかかったり、自分でも色々調べて原因を探した結果、そのすべての要因はストレスにあると自分の中で結論づけた。

ストレスフルな社会。毎日営業成績の数字に追われる日々を続けると、身体の1ヶ所や2ヶ所はかゆくなる。これはもう体質だと割り切っている。

 

仕事はしんどくて辛いもの。

 

いくつかの冬を越えて仕事についての考え方が最近やっと落ち着いてきた。この考えを自分なりに解釈して理解し、腹落ちするまでに時間がかかった。でも、今だから言える。はっきりと自信を持って。

 

仕事ってしんどいわ。

 

行き先が定まらないままふらふらと企業の説明会を渡り歩いていた就活生の頃は、仕事はやりがいに満ちて、楽しいものだと漠然と考えていた。企業のエントリーシートにも「やりがいを実感できると思ったから」と書いたような記憶がある。当時の自分としては真面目に仕事について考え、後悔しないようにと考えて絞り出した言葉であったが、何回目かの冬を迎えようとしている今、仕事に対して別の視点を持つようになった。

 

付け加えると、「仕事はしんどいもの」という考えに対して自分の中では悲壮感などのマイナスな要素はない。ただ客観的な事実としてそう捉えている。いや、そう考えた方がラクだと思っているという方が正しいかもしれない。今後何十年と「働く」中で、その考えの方が自分にはあっている気がする。

 

いま勤めている会社は、従業員約2000人、売上高数百億円、東証一部上場。一般にいう大企業だ。給料はそんなに悪くないし、残業もそこまで多いわけではない。2000人の従業員の約8割で営業職で、いわゆる営業会社というやつである。

 

営業というと「成績が悪かったら怒られる」「顧客リストの上から下まで何回も電話させられる」「飛び込み営業を何件もする」「お客さんに支払いを催促する」などのステレオタイプなイメージがあるかもしれない。結論から言うと、そのイメージはほぼ正解だ。何年か営業として働く中で、その全てのことを経験してきた。怒鳴られ続けたり、自分が契約を取り損ねたせいで、上司がその上司に怒られるのをじっと見てるなんてこともあった。そこで感じた苦しみは社会人として働く中では一生忘れないと思う。もちろん、電話をかけ続けて怒られることもあるし、飛び込み営業でも担当者に会えないことの方が圧倒的に多い。電話や飛び込みの数などは数字で管理されるし、毎日部署全員の営業成績が載ったメールが送られてくる。褒められるのは頑張った人ではなく、売った人。売らなければ給料も下がる。つまりは結果が全ての世界。そして、その仕事は数年たった今でも毎日続いている。同期は何人も辞めたし、自分も成績不振で左遷された。しんどいと思うことは毎日。仕事をしなくていいのならこの仕事はしないだろう。

 

でも、そんな仕事のすべてが嫌いなわけではない。いや、正しくは嫌いではなくなった。考えを変えた結果、捉え方が変わった。

 

働き始めた頃は、仕事は楽しいものややりがいのあるものであるべきと考えていた。理想の仕事は毎日楽しくて、充実して、キラキラしている。そう思っていた。でも、そのイメージを持って自分の足元をみたとき、その理想と現実とのギャップに驚愕する。仕事は楽しくないし、キラキラもしていない。常にどんよりと曇っている。そんな中で仕事をしていると、充実感を持って仕事をしていないのは自分が悪いからだと感じてしまう。理想の仕事が出来ない自分に対して強烈な劣等感を覚える。隣の芝生は鮮やかに青く見える。

 

そうこうしているうちに転職サイトを覗くようになった。求人の内容を見て、条件や仕事内容を比較する。「自分の仕事がこうだったらいいのに」。散々画面をスクロール挙句、ため息をついて携帯のスリープボタンを押す。ブラックアウトした真っ黒な画面に自分の疲れた顔が映る。

 

でも、少しだけ想像してみる。さっき見ていた仕事をしていると想像する。朝出勤してパソコンに電源を入れ、連絡事項がメールで流れてくるのを確認する。時間になると会議室に向かう。会議の内容は来週の重要なプレゼンの打ち合わせ。前日に目をこすりながら自宅で仕上げた資料は修正の赤だらけ。会議が終わるとお昼に出て、帰ってから資料の修正、電話の対応、明日の準備。そうして時間は17時を過ぎる。働き方改革の煽りを受け、残業規制に引っかからないように早めに退社打刻する。しばらく仕事を続けたあと、オフィスを出る。疲れたなーなんて言いながら、帰りの電車で溜まっていたメッセージに一つずつ返信していく。

 

仕事が変わったって本質は何も変わらないのだ。会社によって多少の違いはあっても、資料作って、誰かに報告して、残業もする。どの仕事でも基本的に同じ要素。本質的には何も変わらない。

 

そんな中で、仕事が楽しくてやりがいがあるべきだなんてことを考えても辛いだけ。だから、そう考えるのを辞めた。仕事はしんどいし、つらいもの。でも、そう考えると何かが変わった。仕事をマイナスに捉えなくなったのだ。

 

仕事ぶりを上司に褒められる。会社の商品を販売し、お客さんに感謝される。「またお願いするから!」。そう言ってくれる。「〇〇さんの広告、社長がすごく褒めてましたよ!」「色々作戦練った甲斐がありましたね!」「ノルマ達成したからインセンティブ支給!」「今月頑張ったから寿司でも食べに行こうか」。

 

仕事は辛い。でも、節目ごとに仕事の意義や人の暖かさに触れることもある。飛び込み営業先で「よう来たな!」とお茶を飲ませてくれたり、リストを上から下まで電話していると「ええタイミングで電話くれた!すぐ来て!」ということがあったり。「〇〇の評価、よくしておいたから次給料上がるよ!」「◯◯さん、本当にありがとう。感謝してる。」なんて。

 

辛い仕事の中でそんなことがあると、この仕事も悪くないなと思う。「しんどい」のも仕事だから仕方ないという気持ちになる。うまく自分の気持ちをコントロールできる。一見するとマイナスに捉えているようなこの考え方が、自分の仕事に対する姿勢を良いものにしてくれる。

 

今、社会では仕事について「楽しさ」や「やりがい」を求めすぎているように思う。「楽しくてやりがいのある仕事をすべきだ!」と人は言う。採用ホームページを見ると、目をキラキラさせた社員が笑顔で仕事について語っている。

 

でも、必ずしも仕事をそのようなものとして捉えなくてもいいと思う。仕事はしんどいとか、辛いとか感じることは悪いことではない。なぜなら、仕事の中身は本質的に面白くないからだ。

 

医者も、弁護士も、アイドルも、俳優も、営業も、クリエイティブディレクターも、すべての仕事の中身は面白くないことの繰り返しだと思う。それ自体にやりがいを感じることは難しいし、楽しもうとしても出来ないことが多いかもしれない。働く以上は責任がつきまとうし、お金がそこに発生する以上は仕方ない。世の中の誰もが正解とする「やりがいのある仕事」や「楽しい仕事」なんてないのだ。

 

でも、その単調な仕事に、自分なりのやりがいや楽しさを見つけることはできる。やりがいとは「その仕事をする理由」と言い換えることができるかもしれない。それは給料でもいいし、早く帰れることでもいい。もちろん仕事の中身でもいいのだけれど。目の前の仕事にそれを見つけられる人と、そうでない人がいるだけだ。

 

1年目の冬、異動を告げられたときにある先輩に言われた。

 

「仕事は何をしても辛い。そんなの当たり前。でも、そんな仕事に対して自分なりの意義や理由づけをしていくことが、働くということだと思うんだよ。」

 

この言葉に何回救われたことか。今後働き続ける中で、この言葉だけはずっと忘れないと思う。

冬が、今年もやってくる。

「ノルウェイの森」のレイコさん。

一生忘れないような出会いや時間は、

人生のほんの一瞬にあるのではないかと最近よく考える。

 

ジョンとポールだって、

本当に2人で仕事をして世界を魅了したのは

ほんの10年ほど。

 

ポールはもう70代の後半だが、

そのたった10年をどう思い出すのだろうか。

 

風立ちぬ」の二郎と菜穂子も、

本当に一緒にいたのは数年間。

 

零戦を作り上げたのも、

そんな出会いがあったからかもしれない。

 

ワタナベと直子だってそう。

 

ノルウェイの森」については、

レイコさんの気持ちになって物語を考えることが多い。

 

レイコさんがワタナベと直子と過ごした時間はほんのわずか。

レイコさんがその後何歳まで生きるのかはわからないけれど、

それは青春時代の多感な時代でもなく歳を重ねた中でのほんの一瞬の時間。

 

でも、レイコさんは時々、散歩をしてたり、誰かと話したり、

眠りに落ちるほんの少し前に、2人のことを思い出し、

生涯、2人のことは忘れることはないだろう。

 

人との出会いはほんの一瞬。

今いる場所で出会う人も、人生という長い時間で見ると、

一緒にいるのはほんのわずかな時間だ。

 

そんな中でも、一生忘れない出会いや時間、

一生にわたって自分の人生に影響を与える出会いがあるかもしれない。

どんなに短くても、風のように駆け抜けるような時間でも、

生涯を通して思い出す出会いは目の前にあるかもしれない。

 

だから、たとえそんな人たちと過ごす時間が短くても、

自分が忘れない限りその出会いは意味があるのだと思う。

 

だからこそ、長くは続かない今この瞬間を、

忘れないようにしっかりと過ごさないといけない。

人間関係で悩まない「距離を測る」という考え方。

営業の仕事で企業の担当者や経営者と話していると、社員が退職するのに挙げる理由で多いのが、人間関係であるという。

 

同僚との関係、上司との関係、顧客との関係など。

 

仕事をする上で、というか生きていく上で他の誰かと関係を築いていくというのは避けて通れない。そして、その他者との関係が自分自身の人生も大きく左右していく。

 

僕自身、高校時代とかは人間関係にずいぶん悩んだ。同じクラスの人たち、部活で会う友人、それまでに出会った小中学校の友人。いろんな人と接して、話をして、仲良くなって、連絡先を交換して、それでも、何か満たされないというか、不安だった。

 

毎日会う人たちだから、多少気が合わなくても仲良くしないといけないとか、逆に自分が仲良くなりたいと思っているのに、この人は自分と仲良くしてくれるのかどうかなど、人と話すたびにいつもくよくよ考えていたように思う。

 

そのまま大学に入り、さらに会う人が多くなった。バイト先、サークル、大学の学部、旅行先であった友人など。友人の数が増え、自分が所属しているコミュニティが今までの何倍にも増えた。そして社会人になった今も、関わる人やコミュニティはさらに多くなっている。

 

でも、年を重ねていき(まだ25だけど)、関わる人が多くなるにつれ、人間関係がすごくに楽になっていると最近よく感じる。

 

かつての自分であれば、中学時代から少し行動範囲が増え、所属するコミュニティが増えただけで人間関係に疲れていたので、関わる人間が多くなった今の方がもっと疲弊するのが普通の流れだと思う。でも年々、人間関係についてストレスフリーになっていくのはなぜだろうか。その理由が最近言語化できるようになってきた。

 

その理由は、関わる人に対して、自分自身が適切な人間関係の距離感を取れるようになってきたからだと思う。

 

「距離感」と書くと、人と距離を置くようになったとかで解釈されるかもしれない。でもそれは違っていて、「距離感」を漠然と意識し始めてから、ぐっと近い関係になって何でも話せる友人もできた。つまり、ここでいう距離感とは言い換えると、関わるその人だけの快適な人間関係ということだ。

 

一つ例を出す。僕の両親の話だ。

 

僕の父親はずっと地方に単身赴任をしていた。家族全員で揃って会うのは週末か長期休みの時だけ。それが15年くらい続いていた。 その間、母親は子育てで大変だったと思うが、特に大きな事件もなく、自分も含め兄弟全員が独立し、両親の子育ては一段落ついた。

 

最近実家に帰ったときに思うのだが、父と母はすごく仲が良いということだ。別に2人でいつもどこかにいくという訳ではない。お互いに話したいことがあれば気軽に話すという感じ。いつもリラックスしているし、ギクシャクした何かもない。基本的に父は口数の多い人ではないからそこまで多くの会話はないのだけれど、喧嘩もすることなく、うまくやっていると思う。母が言っていたが、単身赴任をして、父はさらに口数が減ったらしい。笑

 

そんな父と母の姿を見て思うのだが、今こうして父と母が仲良くしているのは、父が15年間平日に家にいなかったからではないかと思う。母も父の世話を焼かずに子どもに集中できるし、子供が成長すると年々負担も減っていく。一人の時間も年々多くなり、好きなドラマを見る時間も増えていった。そして、父が帰ってきたらそのときは気軽に話をする。

 

おそらく、父と母は、お互いに快適な距離感を見つけたのだろうと思う。

 

それは、頻繁に2人で旅行したり、毎日電話したりというのではなくて、週末に父が帰ってきたら気軽に話をし、父は母の話を聞き、母は父の話を聞く。世間一般にいうおしどり夫婦とは少し距離があるようなそんな関係が、父と母の最適な距離感なのだと思う。

 

このことは、夫婦関係だけでなく、人間関係全般にも広く当てはまるのだと思う。

 

何でも話せる友人がいる。特定の話題については深く話すが、この人とはこの話はしないという友人もいる。また、何年に1回しか合わないけど、話しているとすごく楽しいという友人もいる。毎日会うけれど、ほとんど業務連絡でしか話をしない人もいる(仲が悪いわけではなくて)。

 

いろんな人が自分の周りにはいて、その人それぞれに、自分自身との適切な距離感がある。その距離が近いから良い関係、遠いから悪い関係というわけではなくて、その距離感が適切であるのが最も良い人間関係なのだと思う。

 

夫婦だから常に近くにいないといけない。

恋人同士だから頻繁に会わないといけない。

親友だから何でも話さないといけない。

 

人間同士の距離が近いことが良い人間関係であると広く認識されるが、本当にそうなのだろうか。僕の父や母のように、夫婦でも少し距離があっても仲が良いのは、良くない夫婦関係なのだろうか。

 

僕はそうは思わない。

 

関わる人それぞれに適切な人間関係の距離感があると思うし、それが近いか遠いかは重要ではなくて、その関係を快適に思えるのかが大切なんだと思う。

 

もう少しこの人と近づきたいと思えば、それを素直に行動や言葉で示し、お互いに近づくということを認識し合えば良いし、それでうまくいかなければ、自分や相手に問題があるのでなく、その距離感が適切でなかったというだけだ。そのときはそっと離れて、元の距離感に戻ればいい。そんな経験は誰しもがあるはずだと思う。

 

だから、無理に近づこうとしない。遠いからといって不安になる必要もない。

全ては距離感が大事ということだ。人によって様々。

 

僕自身、今こうやって関わる人が増えるのは楽しい。そしてその中で、その人との適切な距離感をつかむことで、これからも最高の親友やパートナーを見つけたいなと考えている。

何もない辺境の村に、インターネットがつながったら。

坂の上の雲」のドラマを今観ている。

もうすでに8年前の作品になるのだが、ずっと観ようと思っていても中々できず、お盆休み中の会った大学時代の友人のススメをいい機会にしようと思い、観始めた。

 

また詳細や感想は観終わったあとにまとめたいと思うが、ドラマを観ながら感じていたことが、最近考えていたあるテーマと被ると思っていた。

 

それは、日本人が英語を学ぶということについて。

 

坂の上の雲」が英語がテーマというわけではない。

 

ただ、あの明治という時代の中で、西欧列強の技術を積極的に学んだ日本人の精神と、現代の日本の中で英語を学ぶという精神は、何か共通しているものもあるんじゃないかと考えついた。

 

あの当時、日本の外部環境の変化は凄まじく、西欧列強による清国の群雄割拠、アメリカの登場、そしてロシアの南下など、日本存亡に関わる重大な出来事が日々起こっていた。

 

ペリー来航からの戊辰戦争までの幕末期は、西欧に対抗する国づくりの主導権を誰が握るのかという争いであった。佐幕派か、倒幕派か、そして自分自身はどちらに着くのか。その時期においては、海外の技術を取り入れるということは一部の藩で行われていたけれど、日本全体で西欧から学ぶという姿勢はまだまだ発展途上であった。

 

しかし、戊辰戦争で新政府が勝利し、西南戦争でいわゆる「サムライ」が滅ぶ前後から、日本は本格的に海外に進出していく。

 

伊藤博文など薩長を中心とした新政府の中心人物を次々と海外に送り込み、その社会の仕組みを学ばせ、それを基に内閣制度や国会開設などの日本での国づくりを推進して行った。

 

そんな時代が明治の終わりまで続くのであるが、その間、凄まじいまでの向上心を持って積極的に西欧に学んだ日本人の精神の根本にあったものは何なのか。

 

それは、「自分の国を強くする」「自分の国を良くする」「平等な民主主義社会、理想社会を創る」とか、そんな生ぬるい思いではなかったのではないかと思う。もちろん、かの有名なクラーク博士が残した言葉である「少年よ、大志を抱け-Boys, Be ambitious!」という精神はあったのだが、それを超える精神があったのだと思う。

 

ちなみに、この言葉の日本語訳は「少年よ、大志を抱け」と美しい日本語である。しかし、英語を見ると、"ambition"=野心という言葉の派生語である"ambitious"を使っていることから、忠実に訳すと、「他人を蹴落としてでも、どんな手段を使ってでも這い上がる気持ちを持て」という意味になると思う。そう解釈してからはこの言葉がすごく好きになった。

 

話を戻す。

それを超える精神は何か。

それはやはり「危機感」なのだと思う。

 

危機感というと、普段日常的に使う言葉であるから、何となく「キキカン」と無機質に流してしまうのだが、ここでいう危機感はもっと切迫したもので、西欧列強に学ばないと国が滅びる可能性が極めて高いというかなり強い気持ちである。

 

清国を見よ。朝鮮を見よ。

国を改革しないことは自分たちの国が滅ぶことを意味する。

 

そんな危機感を、当時の日本人は政治家や軍人から一般市民まで広く共有していたのだと思う。

 

この話を踏まえて、話を英語に戻す。

 

従来、英語というのは日本において、プラスアルファのスキルとして捉えられてきた。何と言っても世界第3位の経済大国。皆が羨む理想の先進国。大学教育も当然のことながら日本語で行われる。

 

そこには英語を学ぶという必要性は極めて低かったと言ってもいい。

 

でも、時代は変わった。

 

ここで僕は言いたいのは、グローバル化で英語が必要になって、世界に出る機会が多くなったから英語が必要とか、そんなことを言いたいのではない。

 

今、時代は進んでいる中で特に顕著なのが情報革命である。いつ何時、何処にいても誰もが簡単に情報にアクセスできるようになった。1日100万人が利用するターミナル駅から、路線も通らないような田舎の町でも、インターネットによって瞬時につながることができる。そしてそれは国を超え、今やアフリカの貧しい村でもインターネットが利用できる。

 

Googleはここ数年で、人口10億人を超えるインド全土にWi-Fiを整備する計画を発表している。

 

それが実現するとどうなるか。

 

日本の人口1億2千万人をはるか超える人数が、ネット環境に接続し、英語によって公開されるハーバードやスタンフォードなどの世界の英知と瞬時につながる。それはインドに限らず、アジア、アフリカ、中東の紛争地域など、新興国と呼ばれる国々を次々と繋いでいくだろう。

そして、そこで学ぶ人たちは、かつて明治の日本人が感じたような危機感を感じているだろう。いや、危機感というよりかは、実際に国が荒れてしまったのだから、危機感よりも遥かに強い気概で学問に取り組んで来るだろう。

 

二度と悲劇を自分の国で繰り返してはならない。学ぶことによって、今度は自分が国を守らなければならない。そんな思いの若者が、10億、20億の単位で日本以外の国には多くいるのだ。

 

そんな人たちと、英語を学ばない日本人が今後10年、20年単位で対等に渡り合えるのか。今は世界第3位の大国が、これが10位、20位だと一体どうなってしまうのか。

 

僕自身も今、英語の教員免許を取るために勉強している。

自戒を十二分に込めて、危機感を持って英語を学びたいと思う。

なぜ、あの戦争は起こったのか。

8月15日が今年もやってくる。戦後73年。

 

甲子園球場に鳴り響く象徴的なサイレンが、

今年も地面を揺らすだろう。

 

73年という月日は20代の僕にとっては途方も無い時間に思える。

一人の人間が生まれ、死んでいくのに十分な時間だ。

 

戦争経験者の平均年齢は80歳を超す。

先の戦争を後世に語り継ぐ時間は、

刻一刻と確実に短くなってきている。

 

風化という言葉を人々は使う。

あの戦争を風化させてはならない。

忘れてはいけない。そして、繰り返してはいけない。

 

政権が現政権に変わってから、

憲法9条の議論があり、集団的自衛権の解釈変更がなされる中で、

改めてそんな思いを聞くことが多くなった。

 

最近、ふと考えることがある。

 

戦争は悲惨だ。繰り返してはいけない。

起こしてはいけない。

 

それについては心の底から僕は賛成である。

そして、そのことを繰り返し言い続けることが、

一種の戦争抑止の力になると信じている。

 

ただ、世間のそんな議論には、

ある視点が決定的に欠けているのではないかと考えてる。

 

それは、先のあの戦争はなぜ起こったのかということだ。

 

軍部が暴走した。マスコミが戦争の真相を伝えなかった。

世論が戦争を支持したから。など。

 

あの戦争の発生には様々なアクターとファクターが絡み合い、

日本は未曾有の戦争に突入していった。

 

でも、なぜ日本が戦争を起こすに至ったかという根本的な議論についてはマスコミの中でもあまりなされていないし、伝えられていないと思っている。

 

この時期になると、戦争関連の特集が多く組まれ、戦争体験者の証言や当時の映像などが繰り返し流れる。そのどれもが、耳を塞ぎたくなるような残酷な過去である。

 

そしてどの特集も結論として戦争は悲惨であるという答えにたどり着き、反戦のメッセージが伝えられる。

 

でも、果たしてそれだけでいいのだろうか。

 

先にも述べたように、戦争経験者の残された時間は確実に残り少なくなってきている。

 

数十年前であれば、政権を担う者も戦争経験者であり、それを支持する既得権益も、そして国民全体も多くが戦争を経験していた。だからこそ、戦争は悲惨であるというメッセージが日本の国全体に強い説得力を持っていた。その中では、なぜあの戦争が起きたのかという具体的な検証がなされずとも、皆が納得感を持ってそのことを当然のように受け入れていた。

 

しかし時代は進み、時の政権や有権者も戦争を直には経験しない層が圧倒的に多くなってきた。その中では、戦争は悲惨である=戦争はいけないという、長年当然のように言われ続けてきた論理の説得力が弱くなっているように思う。

 

戦争は悲惨であるということは誰しもがわかっている。だから戦争はいけないというのは当然ながら理屈としては理解できる。ただ、昨今の国際情勢を鑑みると、そんな悠長だけを言ってられないという状況になってきている。

 

米中の覇権争い、中国の海洋進出、国際テロ組織の脅威、など。

 

そんな国際情勢を観察すると、本当に日本という国のあり方がこのままでいいのかという議論から、憲法9条改正や集団的自衛権の解釈変更のような議論が生まれてきた。

 

つまり、戦争は悲惨だ、戦争はいけないとわかっていながらも、戦争放棄とは対の概念が世間で議論されるのである。

 

その中で、本当に戦争放棄や平和を願うには、単に戦争は悲惨であると伝えるだけでなく、一歩進んで、「なぜ先の戦争が起こったのか」「どうすれば戦争を防ぐことができるのか」ということに、歴史の流れを踏まえてマスコミ始め市民が考える必要があるのではないかと思う。

 

確かに、あの頃の証言を持ち出して戦争の残酷さを伝えるということは、強いメッセージを込めやすいし、構図として本当にシンプルである。でも、長年それを伝え続けて戦後73年たった現代の社会では、それだけではいけない。

 

先の戦争が起こった根本原因を社会の流れから捉え、それを現代に還元することが本当の平和維持である。

 

そして、まずその第一歩として、個々人が次の問題の回答について考える必要がある。

 

先の戦争は、なぜ起こったのですか?

Stay hungry, stay foolishはちょっと意味がわからない。

大学受験の際に英語を勉強してから、細々と英語の勉強を続けている。学生時代には短期間だが語学留学(という名のほぼ旅行)も経験したが、今では仕事をしながらなので、勉強する時期とそうでない時期が2ヶ月周期くらいで繰り返されている感じだ。もっぱら、自分はヒアリングの方があまり得意ではなく、TOEICなどではリーディング(いわゆる文法や読解などの知識面)はいいのだが、ヒアリングは基礎レベルの点数を叩き出したりするなど、なんとも安定しない近頃である。

 

そんな話はさておき、「英語」という語学に関していうと、受験生の頃に予備校の先生がすごく興味深い話をしていて、その話を今でも英語を勉強するときによく思い出す。

 

その話の内容とは、「英単語の中では、日本人が理解できない概念が存在する」ということだ。

 

例えば、"owe"という単語。

辞書を引くと「借りがある」という意味が出て来る。

単純にそのまま訳すことができればいいのだが、例文の中ではそれではなんとも表現しにくいものも出て来る。

”We owe it to the world to do our part”(マーク・ザッカーバーグ スピーチより)

 

これはFacebookの創業者であるマーク・ザッカーアーグのスピーチの一説だが、これを訳すと「私たちは世界に対して自分の役割を全うする義務がある」というような意味になる。本来の「借りがある」という意味からは少し違っているようにも感じる(無理やり解釈できないこともないが、少し不自然)。

 

他にも”available”(利用できる)とか、そんなものも日本語に訳しにくい。

つまり、どうしても意味を解釈する上では、欧米人と日本人では共有し得ない概念が存在するのはないかと思う。「わびさび」とか「余韻」という感覚は日本人特有であると言われるように、欧米人しか理解できない概念もあるのかもしれない。

 

その話をするならば、最近すごく思うのが、かの有名なスティーブ・ジョブズのスピーチも、少し理解できない概念があると感じる。特に最後の一説。

 

"Stay hungry, stay foolish."(貪欲であれ、愚かであれ)

 

シンプルな英文ということもあり、あのジョブズといえばこれみたいな感じになっているけれど、よくよく考えてみれば、この分も意味を捉えることは難しい。

 

スピーチは3つのセクションから成り立っており、

①点と点を長期的な視点で結ぶことを考えること 

②愛と喪失についてー仕事への愛とアップル追放について 

③死ー死を常に意識し続けることによって行動すること 

が述べられている。

 

そして、スピーチの結びに、ホール・アース・カタログの一節から、先の一文を引用している。

 

僕が少し腑に落ちないのが、スピーチ全体を通して、ジョブズの貪欲さや愚かさというのがあまり伝わってこないことだ。「貪欲さ」でいうと、確かに仕事への探究心は持っていたが、「貪欲」と表現するのは少し違うような気がするし、「愚かさ」でいうと、具体的に何を指しているのかがピンとこない。あれだけ、自分をさらけ出したスピーチの最後が「ハングリー精神を持て!馬鹿であれ!」というのも何か納得できない。この文章自体がジョブズの言葉ではなく引用であることや、単に僕の読解力の問題かもしれないが、この文を綺麗に説明できる日本人も少ないではないかと思う。

 

スピーチ全体の趣旨を踏まえると、これはすごく感覚的な意味合いで、「自分主体で、常に直感に従え」という意味に近いのではないかと僕は考えている。それはそれで素晴らしい感覚だけど。

 

この最後の一節が日本人だけなく、欧米人からも支持されていることから、すごく共感のある文章だったんだなと思ったが、日本語訳の「貪欲であれ、愚かであれ」は、多分ジョブズの言葉の意味の半分も意味を捉えてないような気がする。

 

だから、Twitterなどでプロフィールのところにその一節を書いている人を見ると、「本当にお前、意味わかっているのか!?」「この俺に100字以内で説明せよ!」みたいに思っている。笑

 

これは本当に自分本位の勝手な意見で、あの一節に関する明快な解答があるかもしれないけど、とりあえずはこんなことを考えている。

 

でも、この「共有し得ない概念がある」ということを認識することはとても重要ではないかと最近すごく思うのだ。

 

身近な例でいうと宗教のことで、イスラムやインドのヒンドゥーなどは明らかに日本人には理解できないのだなと思う。他にも、中国や韓国などの近隣諸国の国家観も、日本人には理解できない部分が存在するのだと思う。

 

大切なのは、全てを理解しようという姿勢ではなく、共有し得ないことを認識することではないかと考えている。そうすることで、過剰に腹を立てて心を乱されることもないし、粛々と客観的な視点で問題に対処することができる。

 

「全てを理解し、尊重する」というところから諦めることも、時には幸せになることだってあるんじゃないかと最近つくづく思うのである。

 

資格は重要ではなくなるが、資格的な視点は今後かなり重要になるのではないかという話。

資格というものの価値が相対的に下がってきていると言われている。

 

これまでは、

資格を取れば安定と世の中で言われて続けていた。

 

でも、最近ネットなどを見ていると、

その資格の重要性について疑問を投げかける人も多くない。

 

資格取る暇があったら、

自分で何か事業を始める方が早くないかということだ。

 

確かに、生きていくために人々は

資格を取っているわけで、

資格を取らずとも安定できて生きていくことが

できるのであれば資格なんて必要ない。

 

でも、じゃあ今どうしても取りたい資格があるとき、

これは有益ではないかと考える資格があるとき、

その資格は本当に不必要なのだろうか。

 

それは違うのではないかと僕は考えている。

 

資格自体をとったからと言って、

これまでみたいにそれが生きる保証ではなくなってしまったことは確かだ。

でもそのことはイコール資格がいらないということとは少し違う。

 

厳密に述べると、

その資格だけで生き抜くことは難しいが、

その資格的な考えはこれからの世の中でも必ず必要となるというのが

僕の考えである。

 

例えば、医師を一つ例にあげてみる。

(厳密にいうと医師は免許だが、文中では資格を同列で述べる)

 

今、ロボットの医療分野での進出が目覚ましく、

ITと医療によって、現在は人が行なっていることが、

今後は機械に取って代わられる日が必ず来ると思う。

 

手術の技術だって機械の方が正確になると思うし、

診察だって膨大なビッグデータを解析したAIの方が

人間よりも正確になる日が来るかもしれない。

 

その中では医師としての能力や技術だけをもって

この世の中を生き残るのは難しくなる。

 

でもだからといって、

医師というものが世の中から不必要になることはなくて、

「医師的な考え」は今後様々な分野で必要とされるのではないかと思う。

 

企業活動における医師的な視点、

マーケティングにおける医師的な視点、

教育における医師的な視点、

エンターテーメントにおける医師的な視点など。

 

様々な場面でそれは必要とされてくるし、

世の中の仕組みがあらゆる要素とつながり、

複雑化していく中ではその需要も増えてくるのではないかと考えている。

 

資格はもう必要なくなった。

 

けれど、その言葉をそのまま捉えて資格や免許に

価値がないと決めつけるのは違う。

 

もちろん、その資格だけを持って生き残るのは難しくなってきている。

 

重要なのは、資格を取った先に得られる、

その資格特有の視点をどのように生かしていくのか。

 

そう考えると、人生のオプションなんて無限に拡がっていく。